地方自治:電力需給のリアルタイム情報の開示を義務づける条例制定について
TBSラジオ 荒川強啓デイキャッチ
デイキャッチ•ランキング 2011.6.24放送分より、一部文字起こし
荒川強啓:関西では、五つの経済団体が停電に関する情報提供や、原発の運転再開を求める要望書を関西電力に提出しておりまして、関西電力の八木社長は、「原発の再稼働に総力をあげます」とこたえているんですけども、(参照1)
宮台さん、「原発社会からの離脱」という本(参照2)をお出したばかりなんですけど、この動きをどう見ておいですか。
宮台真司:停電というのは、事実は社会的テロに近いようなものでね。
実際に重要なことはここで言われているように情報の提供なのですよね。
実は各電力会社は、各変電所毎の5分おきのダイナミックなリアルタイムの給電状況の変化というのを把握しているはずなんですね。
なので全体に呼び掛けるより、この地域は危ないからと、本当に狭い地域についてだけ、「大型需要家さんたち、電力の需要をすこし控えめにしてください」とアナウンスしていくことによって、「停電テロ」と僕は呼びたいんだけど、これを防げる。
電力会社は、こうした情報が発送電分離の議論につながることを恐れていて、「どうしても出したくない」とおっしゃってるんです。
僕は、各自治体毎に、条例で、この地域に電力を供給するものは、電力の今日のリアルタイム電力供給情報を行政に伝える義務があるというふうな条例を立法してしまえと思いますね。
そうすれば今隠しているデータが全部現れてきて、停電テロのようなことはなくなると思います。
荒川:世田谷区町の話を何度も取上げるんですけども。
宮台:保坂展人さんですね
荒川:保坂さんが、世田谷区の電力の消費、どうなっているのか、データをだしてくれといっても、ちゃんと出さなかったんですよね。
宮台:出さないんですよね。
お金がかかるとか行っているんですよね。
実際に過去に書かれた論文も見れば、変電所毎のリアルタイムの給電情報のデータとかは学者さんに対しては提供しているんですよね。(参照3)
ですからデータを取ることができないというこは、まったくのウソですよね。
荒川:ウソですよね。
そういうふうにデータを開示することで、だったらこの区はこういう特徴があるんだな、ここは節電できるよと、、、
杉浦舞:こまかくきめられますよね。
荒川:そうそう、
パニックにならないんですよ。
かえってその方が安心なんですよね。
どうしてそれをやらないのかね。
参照1
節電の詳細な情報を 関西経済5団体、関電に要望書 2011年06月24日 13時51分 京都新聞
参照2
原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて (講談社現代新書) [新書] ISEP
宮台 真司 (著), 飯田 哲也 (著) 講談社 (2011/6/17) ISBN-13: 978-4062881128
参照3
「リアルタイム電力供給量」で地震被害初動予測に挑む学術論文 2011年06月21日 保坂展人のどこどこ日記
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Saturday, June 25, 2011
Saturday, December 05, 2009
プロボノフォーラムに行って来ました
12月5日ラフォーレミュージアム原宿、〈PRO BONO FORUM〉
遅れて16時ごろに会場へ到着。会場はほぼ満席。
プロボノ・フォーラムのウェブサイト
http://svgt.jp/probono/
プロボノとは何か?ーーーwikipedia〈プロボノ〉
無報酬で行う社会貢献活動。
言い換えれば、労働ではなく、PUBLICに向けての活動や仕事によって社会参加すること。
上の数字の写真は、このイベント最後に行われたワークショップの様子。会場に集まった人々が一年間でプロボノできる時間を集計した合計時間が上の数字。29808時間/約200人。
この後、このワークショップのファシリテーターは、合計時間に時給を乗じて金額をはじき出しました。
このワークショップで、新しく知り合えた人たちと交流できたのが一番楽しかった(短時間でも)。
政府行政による社会保障とは別に、社会の包摂性高めるために有効な活動としてこれから日本でも〈プロボノ〉が流行していくのだろう、と思いました。
遅れて16時ごろに会場へ到着。会場はほぼ満席。
プロボノ・フォーラムのウェブサイト
http://svgt.jp/probono/
プロボノとは何か?ーーーwikipedia〈プロボノ〉
無報酬で行う社会貢献活動。
言い換えれば、労働ではなく、PUBLICに向けての活動や仕事によって社会参加すること。
上の数字の写真は、このイベント最後に行われたワークショップの様子。会場に集まった人々が一年間でプロボノできる時間を集計した合計時間が上の数字。29808時間/約200人。
この後、このワークショップのファシリテーターは、合計時間に時給を乗じて金額をはじき出しました。
このワークショップで、新しく知り合えた人たちと交流できたのが一番楽しかった(短時間でも)。
政府行政による社会保障とは別に、社会の包摂性高めるために有効な活動としてこれから日本でも〈プロボノ〉が流行していくのだろう、と思いました。
Wednesday, November 11, 2009
Tori-no-Ichi(酉の市)” in Hanazono Jinjya (花園神社)
11 Nov. I went to “Tori-no-Ichi(酉の市)” in Hanazono Jinjya (花園神社) at shinjyuku.
“Tori-no-Ichi(酉の市)” is traditional festival in East-Japan.
People buy the lit up “Kumade (bamboo rake)” like Christmas tree.
People believe that “Kumade” scrape together happiness.
It is lively with congestion.
The person is a little in this pictures. Because I went immediately after beginning.
“Tori-no-Ichi(酉の市)” schedule in 2009.
11, 12, 23, 24, November.
“Tori-no-Ichi(酉の市)” is traditional festival in East-Japan.
People buy the lit up “Kumade (bamboo rake)” like Christmas tree.
People believe that “Kumade” scrape together happiness.
It is lively with congestion.
The person is a little in this pictures. Because I went immediately after beginning.
“Tori-no-Ichi(酉の市)” schedule in 2009.
11, 12, 23, 24, November.
Sunday, September 27, 2009
視覚障害の方々と一緒に美術鑑賞ツアーに参加。
9月25日午後6時30分に乃木坂駅に集合。友人で視覚障害のあるGさんとその奥さんと一緒に、視覚障害者と一緒にアートを鑑賞する〈MARの鑑賞ツアー〉に参加しました。
会場は東京にある国立新美術館、展覧会は〈光 松本陽子/野口里佳〉展。作品は絵画と写真で、当然触ることは禁じられており、同行する健常者が語る言葉だけで作品イメージを互いに共有していく。果たして上手くいくのかどうか疑問もあり、とにかくやってみることに。。。
最初、主催者が2人から3人のグループに分けられた。私は友人夫妻とはなれ、ブラインドのKさんとガイドのTさんのグループに入れていただいた。初対面のお二人とご挨拶して、いよいよ会場へ向った。するとそこからすでに鑑賞ツアーは始まっており、ホワイエの大空間の広さや色や光の様子を言葉で説明。そしていよいよ展覧会場へ。
この展覧会は、画家と写真家の二人のアーティストを〈光〉という言葉で関連づけているが、それぞれ画家の松本洋子と写真家の野口里佳の個展が並列されている。なので、会場入口に解説パネルがあり、その奥に二つの個展の入口が開いていた。そこでまず右側の野口里佳展へ向った。
最初に富士登山の写真。例えばある作品では、大きな石がころがるガレ場を一人がリュックサックを背負って登っている。それは白いきりの中でぼんやりと霞んでいる。画面の大きさは高さ1m以上ある長方形で、登る人物は画面の中央やや下に小さく写っており、画面の上半分は白い霧で真っ白、といった説明。
そして、松本陽子作品の場合、これは全くの抽象的絵画。キャンバスに油絵で、サーモンピンクの淡いグラデーションが渦巻く積乱雲を描いたよう。また、大きな滝壺の近くで水しぶきを浴びているような感じ、だとかいろいろと語った。
Kさんの場合は私たちの言葉と、視力を失う前に見た視覚的記憶を加えて作品イメージを構成するとのことでした。また、Kさんに感想を聞くと、やはりたくさんのいろんな種類の言葉で、つまり豊富なボキャブラリーで、語ってもらうとイメージし易いとのこと。もし先天的に盲目の方の場合、視覚的記憶がないのだがやはり頭の中でイメージが構成されるらしいと、Tさんに教えていただいた。
この体験は、言語ゲームであることが強調される。私とガイドのTさんが語る言葉から、ブラインドのKさんは作品のイメージを頭の中で想像する。ここではまず言葉があってイメージの共有が始まる。そして、互いに言葉によってイメージを膨らませる。また、見えている私たちの視覚的経験も豊かに高められていくようだと思った。
ブラインドの人の立場は、ラジオDJの言葉を聴いているリスナーである私が、時に強い臨場感をもってイメージを膨らませているようなことだろうか。しかし、彼がどんなイメージを思考しているか見ることはできない。だが、他者の思考を見ることができないのは障害の有無に関係がなく平等。共有するのはイメージを語る言葉のみであり、それはまさに言語ゲーム。
展覧会場の外で解散前に談笑する参加者たち。初対面でも一度のこと鑑賞体験を共有すると一気に親しくなることができるようだ。
参加者の皆さん、主催のエイブルアートジャパンの皆さん、どうもありがとう。
会場は東京にある国立新美術館、展覧会は〈光 松本陽子/野口里佳〉展。作品は絵画と写真で、当然触ることは禁じられており、同行する健常者が語る言葉だけで作品イメージを互いに共有していく。果たして上手くいくのかどうか疑問もあり、とにかくやってみることに。。。
最初、主催者が2人から3人のグループに分けられた。私は友人夫妻とはなれ、ブラインドのKさんとガイドのTさんのグループに入れていただいた。初対面のお二人とご挨拶して、いよいよ会場へ向った。するとそこからすでに鑑賞ツアーは始まっており、ホワイエの大空間の広さや色や光の様子を言葉で説明。そしていよいよ展覧会場へ。
この展覧会は、画家と写真家の二人のアーティストを〈光〉という言葉で関連づけているが、それぞれ画家の松本洋子と写真家の野口里佳の個展が並列されている。なので、会場入口に解説パネルがあり、その奥に二つの個展の入口が開いていた。そこでまず右側の野口里佳展へ向った。
最初に富士登山の写真。例えばある作品では、大きな石がころがるガレ場を一人がリュックサックを背負って登っている。それは白いきりの中でぼんやりと霞んでいる。画面の大きさは高さ1m以上ある長方形で、登る人物は画面の中央やや下に小さく写っており、画面の上半分は白い霧で真っ白、といった説明。
そして、松本陽子作品の場合、これは全くの抽象的絵画。キャンバスに油絵で、サーモンピンクの淡いグラデーションが渦巻く積乱雲を描いたよう。また、大きな滝壺の近くで水しぶきを浴びているような感じ、だとかいろいろと語った。
Kさんの場合は私たちの言葉と、視力を失う前に見た視覚的記憶を加えて作品イメージを構成するとのことでした。また、Kさんに感想を聞くと、やはりたくさんのいろんな種類の言葉で、つまり豊富なボキャブラリーで、語ってもらうとイメージし易いとのこと。もし先天的に盲目の方の場合、視覚的記憶がないのだがやはり頭の中でイメージが構成されるらしいと、Tさんに教えていただいた。
この体験は、言語ゲームであることが強調される。私とガイドのTさんが語る言葉から、ブラインドのKさんは作品のイメージを頭の中で想像する。ここではまず言葉があってイメージの共有が始まる。そして、互いに言葉によってイメージを膨らませる。また、見えている私たちの視覚的経験も豊かに高められていくようだと思った。
ブラインドの人の立場は、ラジオDJの言葉を聴いているリスナーである私が、時に強い臨場感をもってイメージを膨らませているようなことだろうか。しかし、彼がどんなイメージを思考しているか見ることはできない。だが、他者の思考を見ることができないのは障害の有無に関係がなく平等。共有するのはイメージを語る言葉のみであり、それはまさに言語ゲーム。
展覧会場の外で解散前に談笑する参加者たち。初対面でも一度のこと鑑賞体験を共有すると一気に親しくなることができるようだ。
参加者の皆さん、主催のエイブルアートジャパンの皆さん、どうもありがとう。
Saturday, September 26, 2009
帰宅訓練で歩いている人たちに出会った。
9月26日昼前ウォーキングをしていると、白いゼッケンをつけた人たちが新目白通りを徒歩で下って来ました。街歩きのサークルかなと思ったが、それにしては人数が多い。交差点で共に立ち止まったときに、ノボリ旗を持っている方に質問。
それによると彼らは、帰宅困難者対応訓練実行委員会が主催する訓練の参加者だとのこと。その訓練とは、もしも首都震災が発生して交通機関がストップした時、職場から徒歩で帰宅することを事前に体験しておくこと。答えてくれた彼らは、日比谷公園をスタートし、約20km先にある練馬区の光が丘を目指しているとのこと。
私は阪神大震災の罹災経験があるので、当時の神戸の三ノ宮付近の様子を思い出した。あのときと同じようなことがもしも東京で発生したら、道路は平坦でなくなり電線やガラスや様々な落下物をよけながら歩くことになる。きっと日常の何倍も疲労するだろう。アスファルト鋪装がめくれて立ち上がり1mぐらいの壁になって道路を塞いでいた場面を思い出す。
隣人や職場の仲間たちとこういうイベントを通じてより親しくなっておくことはいいことだろう。阪神大震災の直後、それまで顔を合わせることが無かった隣人たちと力を合わせて活動したことがあるが、もしも日ごろから知り合って親しくしていれば、もっと有効な活動ができたように思うから。
それと、このイベントのように東京の街を普段歩かない人たちが歩く機会を作ることはよいことだろう。なぜなら、地下鉄や電車や車で移動していると気づかないことが、歩いていると気づくことがあるから。そしてできれば、日ごろから東京の街が歩きやすくて楽しい街にしたいと思わないだろうか。また災害がなくても、お年寄りやケガをした人たちにとって意外にも歩き易い舗道が少ないことに気づかれたのではないかな。
それによると彼らは、帰宅困難者対応訓練実行委員会が主催する訓練の参加者だとのこと。その訓練とは、もしも首都震災が発生して交通機関がストップした時、職場から徒歩で帰宅することを事前に体験しておくこと。答えてくれた彼らは、日比谷公園をスタートし、約20km先にある練馬区の光が丘を目指しているとのこと。
私は阪神大震災の罹災経験があるので、当時の神戸の三ノ宮付近の様子を思い出した。あのときと同じようなことがもしも東京で発生したら、道路は平坦でなくなり電線やガラスや様々な落下物をよけながら歩くことになる。きっと日常の何倍も疲労するだろう。アスファルト鋪装がめくれて立ち上がり1mぐらいの壁になって道路を塞いでいた場面を思い出す。
隣人や職場の仲間たちとこういうイベントを通じてより親しくなっておくことはいいことだろう。阪神大震災の直後、それまで顔を合わせることが無かった隣人たちと力を合わせて活動したことがあるが、もしも日ごろから知り合って親しくしていれば、もっと有効な活動ができたように思うから。
それと、このイベントのように東京の街を普段歩かない人たちが歩く機会を作ることはよいことだろう。なぜなら、地下鉄や電車や車で移動していると気づかないことが、歩いていると気づくことがあるから。そしてできれば、日ごろから東京の街が歩きやすくて楽しい街にしたいと思わないだろうか。また災害がなくても、お年寄りやケガをした人たちにとって意外にも歩き易い舗道が少ないことに気づかれたのではないかな。
自転車を擁護
9月25日、有楽町の日新製鋼ギャラリーで、デビッド・ガースタイン(David Gerstein)を見ました。作品は内容は、人々が街にでて一緒に楽しむこと、例えば、花壇、音楽、散歩、そしてサイクリングなど。個人が自分の世界に引きこもってしまって楽しむというよりは、家族や友人や街のなかで一緒に楽しむことを考えさせられる。
作品の写真は撮影できないので、だいぶ遠くから。。。
満員電車に押しこめられて通勤するより自転車を使って通勤したほうが、安上がりで、環境に優しいエコで、しかも体を動かすからダイエットにもなる。でも、都内だと都市空間が過密で、自転車専用道路を作る余裕は無く、自転車は狭い歩道か危険な車道を走らなくてはならない。また、都内は坂道が多くて、自転車をこぐのがたいへん。
なので、空間にまだ余裕のある地方で、車の少ない道路を自転車で走って、コンパクトに暮らしていくことを空想してしまう。
たぶん将来、日本の街は自転車で暮らしやすい街に作り直す地方都市がもっと増えるかもあるかもしれない。今の日本は東京圏など一部の狭い大都市に人口が集中していますが、それが分散して広々とした地方都市で暮らしたいと考えている人たちは増えているから。また自転車はエコロジカルで持続可能性のある輸送移動手段。さらに、電車やバスに自転車を折り畳んで輪行袋にいれなくても乗せられるようになれば、自転車かなり遠くまでいけるようになるだろう。
その後、有楽町のビックカメラに行くと、自転車の販売コーナーがかなり広い売り場面積をしめていました。電動アシストサイクルに様々なバリエーションが出ていた。電動アシスト付き自転車といえばママチャリのイメージだったが、マウンテンバイクのようなスポーツタイプの自転車にも電動アシストが付いており、これなら山が多くて起伏の激しい妻有のような地域でも、鍛えていない普通の人が自転車を楽しめそうでした。
そんなことを考えて家に戻ると、アメリカのリッジフィールドという街のThe Aldrich Contemporary Art Museumで、自転車をテーマにした〈Bike Rides〉展が、9月26日から始まるとメールが届いていた。
作品の写真は撮影できないので、だいぶ遠くから。。。
満員電車に押しこめられて通勤するより自転車を使って通勤したほうが、安上がりで、環境に優しいエコで、しかも体を動かすからダイエットにもなる。でも、都内だと都市空間が過密で、自転車専用道路を作る余裕は無く、自転車は狭い歩道か危険な車道を走らなくてはならない。また、都内は坂道が多くて、自転車をこぐのがたいへん。
なので、空間にまだ余裕のある地方で、車の少ない道路を自転車で走って、コンパクトに暮らしていくことを空想してしまう。
たぶん将来、日本の街は自転車で暮らしやすい街に作り直す地方都市がもっと増えるかもあるかもしれない。今の日本は東京圏など一部の狭い大都市に人口が集中していますが、それが分散して広々とした地方都市で暮らしたいと考えている人たちは増えているから。また自転車はエコロジカルで持続可能性のある輸送移動手段。さらに、電車やバスに自転車を折り畳んで輪行袋にいれなくても乗せられるようになれば、自転車かなり遠くまでいけるようになるだろう。
その後、有楽町のビックカメラに行くと、自転車の販売コーナーがかなり広い売り場面積をしめていました。電動アシストサイクルに様々なバリエーションが出ていた。電動アシスト付き自転車といえばママチャリのイメージだったが、マウンテンバイクのようなスポーツタイプの自転車にも電動アシストが付いており、これなら山が多くて起伏の激しい妻有のような地域でも、鍛えていない普通の人が自転車を楽しめそうでした。
そんなことを考えて家に戻ると、アメリカのリッジフィールドという街のThe Aldrich Contemporary Art Museumで、自転車をテーマにした〈Bike Rides〉展が、9月26日から始まるとメールが届いていた。
Monday, September 21, 2009
地方にとって特に重要、鳩山総理のクローズな記者会見のニュース
地方で頑張っている人たちやこれから地方で頑張ろうと思っている人たちにとって重要なニュースがネットにでている。しかし先ほど、首都圏郊外に暮らす友人と電話で話したら、彼はこのニュースを知らなかった。
そのネットで話題のニュースとは、鳩山総理の記者会見からフリーランスのジャーナリストやネットニュースメディアなどマイナーメディアの記者たちを閉め出したこと。
政権を取る前には民主党の前小沢党首と鳩山党首(現総理)は、オープンにすることを記者会見で何度も述べていたのに、結局は自民党と同じでオープンにされなかった。その後、岡田外相だけはオープンにすることを発表しました。
さて、その友人はインターネットはほとんど使っておらず、ニュースはテレビと新聞が中心。そして、記者会見をオープンにしなかったことをテレビも新聞も報道していなかったから、私から電話でそれを聴くまで知らなかった。
たぶん、友人のように知らない人たちは結構たくさんいるのではないだろうか。
首都圏のような大都市だと、インターネットを利用していなくても、少し時間がかかるがいずれ書店などで、また口コミでこのニュースを知らないままになる可能性は低い。しかし、地方都市に住む人たちの中にはこのニュースとその問題点を知らないままになってしまう可能性が高い。
何が問題かと考えてみる。
地方で暮らしていくには、それも過疎地であるほど、従来のような仕事と暮らし方が難しくなってきている。それが自民党が先の総選挙で負けた理由でもあろう。
すでに地方に暮らしている人たちの中には、そしてこらから地方で暮らしていこうと思っている人たちも、新しいビジネスと暮らし方と社会のあり方を追求してことになるのだが、そのためには豊富な情報が必要になる。特に、政府や行政が発表する情報は重要となる。なぜなら、自分たちの新しい生き方を判断していくために、分厚い情報が必要だから。
しかし、マスメディアの情報は、どうしても東京を中心とした視点で書かれたものが多かった。その状況は現在も続いていて、地方メディアは東京発のマスメディアのニュースソースを掲載するだけのケースが多い。
一方で、政権を取る前の民主党はオープンな記者会見を開いていて、つまり民主党は自民党に比べて積極的に政策について情報公開を行ってきていた。そこで様々なマイナーなメディアからも多様なニュース情報が配信していた。
私たちは(地方に暮らしていく人たちだけでない)、これからも自分たちの生き方や社会について判断していくので、判断するために情報が公開される必要がある。評価判断するためには、政府行政の情報が少ないのでもっと多くの情報が公開される必要があるのに、最初の鳩山総理の記者会見からディスクロージャー(情報公開)されなかったので問題なのだ。そして、最初から期待を裏切り今後も必要になる様々なレベルのディスクロージャーが行われるのかどうか、どこまでおこなわれるのか、これまでと変わらないのではないかと、危惧されてしまう。
現在ネットでは、このニュースについては、〈記者クラブ〉等のキーワードで検索するとたくさん記事が溢れている。
でもマスコミはこのニュースを報道しそうにないから、地方でネットを使っていない人やネットが繋がり難い地域の人は知りようがないのだろうか?
そのネットで話題のニュースとは、鳩山総理の記者会見からフリーランスのジャーナリストやネットニュースメディアなどマイナーメディアの記者たちを閉め出したこと。
政権を取る前には民主党の前小沢党首と鳩山党首(現総理)は、オープンにすることを記者会見で何度も述べていたのに、結局は自民党と同じでオープンにされなかった。その後、岡田外相だけはオープンにすることを発表しました。
さて、その友人はインターネットはほとんど使っておらず、ニュースはテレビと新聞が中心。そして、記者会見をオープンにしなかったことをテレビも新聞も報道していなかったから、私から電話でそれを聴くまで知らなかった。
たぶん、友人のように知らない人たちは結構たくさんいるのではないだろうか。
首都圏のような大都市だと、インターネットを利用していなくても、少し時間がかかるがいずれ書店などで、また口コミでこのニュースを知らないままになる可能性は低い。しかし、地方都市に住む人たちの中にはこのニュースとその問題点を知らないままになってしまう可能性が高い。
何が問題かと考えてみる。
地方で暮らしていくには、それも過疎地であるほど、従来のような仕事と暮らし方が難しくなってきている。それが自民党が先の総選挙で負けた理由でもあろう。
すでに地方に暮らしている人たちの中には、そしてこらから地方で暮らしていこうと思っている人たちも、新しいビジネスと暮らし方と社会のあり方を追求してことになるのだが、そのためには豊富な情報が必要になる。特に、政府や行政が発表する情報は重要となる。なぜなら、自分たちの新しい生き方を判断していくために、分厚い情報が必要だから。
しかし、マスメディアの情報は、どうしても東京を中心とした視点で書かれたものが多かった。その状況は現在も続いていて、地方メディアは東京発のマスメディアのニュースソースを掲載するだけのケースが多い。
一方で、政権を取る前の民主党はオープンな記者会見を開いていて、つまり民主党は自民党に比べて積極的に政策について情報公開を行ってきていた。そこで様々なマイナーなメディアからも多様なニュース情報が配信していた。
私たちは(地方に暮らしていく人たちだけでない)、これからも自分たちの生き方や社会について判断していくので、判断するために情報が公開される必要がある。評価判断するためには、政府行政の情報が少ないのでもっと多くの情報が公開される必要があるのに、最初の鳩山総理の記者会見からディスクロージャー(情報公開)されなかったので問題なのだ。そして、最初から期待を裏切り今後も必要になる様々なレベルのディスクロージャーが行われるのかどうか、どこまでおこなわれるのか、これまでと変わらないのではないかと、危惧されてしまう。
現在ネットでは、このニュースについては、〈記者クラブ〉等のキーワードで検索するとたくさん記事が溢れている。
でもマスコミはこのニュースを報道しそうにないから、地方でネットを使っていない人やネットが繋がり難い地域の人は知りようがないのだろうか?
Wednesday, September 16, 2009
東京の小さなお祭り
9月、東京ではたくさんの小さな祭が、観光のためでなく、市民のためにあります。
写真は、9月13日の昼頃、早稲田の水稲荷神社の参道で撮影したものです。夕方から、子供たちとその家族で賑わいます。
東京のように極端に人口が集中した都市では、人口密度が高いにも関わらず、他者との関係が少なくパブリックな活動が弱い。しかし、最近はそのような問題に対してゆるやかに活動が活発化してきている。
例えば、このような伝統的な神社の行事に参加することで、子供のいる家族は、学校のコミュニティーに分厚さを加えていくことができる。
写真は、9月13日の昼頃、早稲田の水稲荷神社の参道で撮影したものです。夕方から、子供たちとその家族で賑わいます。
東京のように極端に人口が集中した都市では、人口密度が高いにも関わらず、他者との関係が少なくパブリックな活動が弱い。しかし、最近はそのような問題に対してゆるやかに活動が活発化してきている。
例えば、このような伝統的な神社の行事に参加することで、子供のいる家族は、学校のコミュニティーに分厚さを加えていくことができる。
Monday, September 14, 2009
越後妻有アートトリエンナーレ2009、写真
この作品は川西の岩瀬集落に設置されていた西尾美也作品。タイトルは〈家族の制服〉。巨大な写真スクリーンが田圃の畦に設置されており、スクリーンの左下に小さな写真が設置されている。その小さな写真はこの集落の昔の家族写真で、大きなスクリーンの写真はその昔の家族写真を現代で再現されている。つまり、撮影場所、人物の配置、衣装が再現されている。
観客は集落の中に至る農道を歩いて行くと、巨大な写真を雑木林と農家に囲まれた田圃のある風景のなかに発見する。ここの環境の中で制作され展示されたことで、作品は環境の一部にとけ込んでいるように見える。
観客は集落の中に至る農道を歩いて行くと、巨大な写真を雑木林と農家に囲まれた田圃のある風景のなかに発見する。ここの環境の中で制作され展示されたことで、作品は環境の一部にとけ込んでいるように見える。
越後妻有アートトリエンナーレ2009、屋外彫刻
川西のナカゴグリーンパークに、2000年の大地の芸術祭で設置された柳健司作品。山頂に4つの見晴し台があり、それらの中央に東京やパリまでの大都市や木星など惑星までの距離が彫られたプレートが埋め込まれていた。
妻有の自然の中に設置された屋外彫刻作品のなかでは成功していると思った。
環境のスケールに対して適当なオブジェのスケールで制作し設置することは、都市内で行うよりも自然の中で行うことの方が注意すべきことが多い。また作品の内容に見合った表現を行うことも難しい場合があるようだ。白いギャラリー空間の中でオブジェは自律して見えるが、自然環境の中の作品は環境と作品の相互関係によって観客は意味を読み取らざる得ない。近代的に整備された公園の中で緑の芝生の上に配置することで、オブジェは白いギャラリーの空間にあるように見せるという約束事がある。
しかし、妻有のような生きた自然の中では、観客は感覚により身体的にまず環境を受けとめているので、作品オブジェの文脈として環境をとらえる。または、観客は作品の意味を自分たちを取り囲む自然環境や社会から読み取ろうする。そのために越後妻有では白いギャラリーの中で展開されてきたことの多くはあまりここでは関係がないように思われる。
しかしまた、ほとんどの観客は環境についての認識を言葉で行っているので、自然環境や社会についての言葉をたよりに作品を評価していると言えると思う。
妻有の自然の中に設置された屋外彫刻作品のなかでは成功していると思った。
環境のスケールに対して適当なオブジェのスケールで制作し設置することは、都市内で行うよりも自然の中で行うことの方が注意すべきことが多い。また作品の内容に見合った表現を行うことも難しい場合があるようだ。白いギャラリー空間の中でオブジェは自律して見えるが、自然環境の中の作品は環境と作品の相互関係によって観客は意味を読み取らざる得ない。近代的に整備された公園の中で緑の芝生の上に配置することで、オブジェは白いギャラリーの空間にあるように見せるという約束事がある。
しかし、妻有のような生きた自然の中では、観客は感覚により身体的にまず環境を受けとめているので、作品オブジェの文脈として環境をとらえる。または、観客は作品の意味を自分たちを取り囲む自然環境や社会から読み取ろうする。そのために越後妻有では白いギャラリーの中で展開されてきたことの多くはあまりここでは関係がないように思われる。
しかしまた、ほとんどの観客は環境についての認識を言葉で行っているので、自然環境や社会についての言葉をたよりに作品を評価していると言えると思う。
Thursday, September 10, 2009
PWR LIVE!が妻有トリエンナーレを取材放送
J-waveのDJ・モーリー・ロバートソンが大地の芸術祭を動画や音声で取材し、PWR LIVE!という彼のネットメディアで放送している。放送された動画や音声は、アーカイブされいるので後から訊くことができる。
今日の放送では北海道の帯広から、日本の地方が疲弊している問題や、日本が外国から隔絶されて小さい世界にいるような幻想を大衆が抱いてきたことに疑問を述べていて、共感できて面白かった。
http://pwrlive.com/
今日の放送では北海道の帯広から、日本の地方が疲弊している問題や、日本が外国から隔絶されて小さい世界にいるような幻想を大衆が抱いてきたことに疑問を述べていて、共感できて面白かった。
http://pwrlive.com/
今日から、大地の芸術祭へ出発。
9月10日から、新潟県の十日町市と津南町で開催中の「大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ2009」と、新潟市で開催中の「水と土の芸術祭2009」へ行ってきます。
東京からの我々のアクセスは、ETCを付けた車で深夜割引(高速道路通行料金が半額)を利用し、関越自動車道で向かう。
高速道路無料化が早く実施されていれば良かっが、今回は残念ながら間に合いません。
地方にとって高速道路が無料化されることは地方の活性化のために有効だろう。なぜなら、高速道路の料金選定は一般的に1kmあたり25円なので、高速道路を100km走れば2500円となるが、東京よりも労働時給単価が低い地方で働く人々にとって高速を気軽に使うわけにいかず、高速と平行する道路を走る自動車の通行量が多くなるという矛盾した現象があるが、それが無料化されれば一般道の渋滞は緩和され地方を活性化する基盤になるだろうから。
これから向う新潟の二つの芸術祭も、高速道路が無料化されていれば、今後さらに来客数の増加を期待することができるだろう。 全国の同様の地方地域にとっても、観光だけでなく、流通や通勤などの基盤となるだろう。
写真は、9月8日に大地の芸術祭のパスポートを購入するために行った東京・代官山のトリエンナーレセンター。
大地の芸術祭のパスポートの価格は、大人3,500円。
水と土の芸術祭のパスポートは現地で購入時にこの大地の芸術祭パスを見せれば、2500円が2000円になるそうだ。
東京からの我々のアクセスは、ETCを付けた車で深夜割引(高速道路通行料金が半額)を利用し、関越自動車道で向かう。
高速道路無料化が早く実施されていれば良かっが、今回は残念ながら間に合いません。
地方にとって高速道路が無料化されることは地方の活性化のために有効だろう。なぜなら、高速道路の料金選定は一般的に1kmあたり25円なので、高速道路を100km走れば2500円となるが、東京よりも労働時給単価が低い地方で働く人々にとって高速を気軽に使うわけにいかず、高速と平行する道路を走る自動車の通行量が多くなるという矛盾した現象があるが、それが無料化されれば一般道の渋滞は緩和され地方を活性化する基盤になるだろうから。
これから向う新潟の二つの芸術祭も、高速道路が無料化されていれば、今後さらに来客数の増加を期待することができるだろう。 全国の同様の地方地域にとっても、観光だけでなく、流通や通勤などの基盤となるだろう。
写真は、9月8日に大地の芸術祭のパスポートを購入するために行った東京・代官山のトリエンナーレセンター。
大地の芸術祭のパスポートの価格は、大人3,500円。
水と土の芸術祭のパスポートは現地で購入時にこの大地の芸術祭パスを見せれば、2500円が2000円になるそうだ。
Monday, September 07, 2009
西早稲田の天租神社の祭
9月6日、西早稲田にある天租神社の祭を、友人Tと見に行った。
神輿のスタートは、午前9時30分なので、9時に会場へ向うと、すでに多くの凛々しい人々が集まっており、さらに続々と法被(Happi)に帯に鉢巻き姿の人々があつまってくる。襟に〈西早稲田〉と染め抜いた法被ばかりでなくと、他の街の名を染め抜いた法被もあり、色も紋も様々。緊張感と高揚感があり、動画と音声も記録できればよかったと思った。
粋なファッション、汗とかけ声、神輿の重み、強い残暑の日差し。五感を刺激された。
本殿から神輿が下ろされる様子。
西早稲田の法被の背中には、大きな〈三つ巴〉紋。
行列の先頭は天狗。そして白い着物に空色の袴をはいた少年たちが、幟のついた槍をもって進んでいく。
次に、堂々とした男たちが歌(甚句?)を大声でうなりながら歩いてきた。
神輿の後には大きな赤い傘が続き、さらに大勢の人々が続く。
この神輿は街のなかを巡り、午後3時ごろからに再びこの神社にもどってくる。
早稲田通りに向う神輿の行列の中から人に呼び止められた。その人は白い着物に薄緑の袴姿のS神主。
また、昼頃神輿を担いだ人たちに道の脇で食事とお酒を提供していた。その給仕役の中に、最近顔見知りになった女性を発見、会釈するとビールを勧められた。彼女は、町内の道の脇に花を植えて世話している人。
社会の人間関係が希薄になっていると言われて久しいが、まだまだ可能性はあると感じられた。
神輿のスタートは、午前9時30分なので、9時に会場へ向うと、すでに多くの凛々しい人々が集まっており、さらに続々と法被(Happi)に帯に鉢巻き姿の人々があつまってくる。襟に〈西早稲田〉と染め抜いた法被ばかりでなくと、他の街の名を染め抜いた法被もあり、色も紋も様々。緊張感と高揚感があり、動画と音声も記録できればよかったと思った。
粋なファッション、汗とかけ声、神輿の重み、強い残暑の日差し。五感を刺激された。
この神輿は街のなかを巡り、午後3時ごろからに再びこの神社にもどってくる。
早稲田通りに向う神輿の行列の中から人に呼び止められた。その人は白い着物に薄緑の袴姿のS神主。
また、昼頃神輿を担いだ人たちに道の脇で食事とお酒を提供していた。その給仕役の中に、最近顔見知りになった女性を発見、会釈するとビールを勧められた。彼女は、町内の道の脇に花を植えて世話している人。
社会の人間関係が希薄になっていると言われて久しいが、まだまだ可能性はあると感じられた。
Friday, August 15, 2008
権利 - right
譬えば訳書中に往々自由通義の時を用ひたること多しといえども、実は是等の訳字を以て原意を尽くすに足らず。
『西洋事情 二編』福沢諭吉著
rightの名詞には、大きく分けると、道徳的な正しさという意味と、右という意味と、今日言う「権利」の意味とがある。また、オランダ語のregtやフランス語のdroitには、英語のrightにはない法律というような意味もある。
pp.155-156
rightの法律上の意味、今日言う「権利」は、道徳上の正しさ、という意味を、少なくとも「正しさ」という意味では受け継いでいる。正当性とか、合法性などともいう。ところが、「権」ということばは、正しさとはむしろ正反対に対立する意味、力というような意味であった。
p.159
『和英語林集成』の初版(1867年)では、「権」はこうなっている。
Ken ケン 権 n.Power, authority, influence, ---wo furu, to show one's power,---wo toru, to hold the power, to have the authority, ---wo hatte mono wo iu, to talk assuming an air of authority.
すなわち、まずPower、つまり力という意味だったのである。
p.160
rightの訳語となっていった「権利」はどうであったか。1891(明治24)年の、大槻文彦の『言海』によると、
ケンリ 権利 身の分際にたもち居て、事に当たりて自ら処分することを得る権力。(義務と対す)
となっている。
pp.160-161
西欧近代におけるrightの意味を、はっきり自覚し、指摘したのは、十七世紀半ば頃のホッブスである。rightとlawについて、rightは、ある事をするかしないかの自由にあるのに対して、lawはそのどちらかに決定し、束縛する、と『レバイヤサン』の中で言っている。
この有名な指摘以来、rightは、古代以来の自然法にとって代わったのである。
p.161
自然法学は、明治期に入ってしばらく受け継がれていたが、明治十年代頃から、ヨーロッパで支配的となってきた法実証主義の法学が主流になった。この考え方によれば、rightは、権力に対して超越的な意味は持たない。rightは、法によって与えられる意思、あるいは利益のことである。この考え方によっても、法によって与えられる力、と言えないこともないが、少なくとも第一には、力ではないのである。
p.162
西周は、どうしてregtを、「権」というずれた意味の、誤解しやすいことばで翻訳したのだろうか。
西は、この翻訳をするときregtを、当時すでに刊行され、読まれていたWilliam Martinの、漢訳「万国公法」を参考にした、と述べている。そこではすでに、「権」という翻訳語が使われていたのである。
p.163
この「権」には、その伝来の意味、力というような意味と、その翻訳語としてのrightの意味とが混在している。
p.168
「民権」ということばは、どうも誤解されていたのではないか、と思う。やはり二つの意味が混在し、その混在に気づかずに使われていたようであった。
それは1872(明治五)年の、中村正直の『自由之理』から始まっていた。同書の最初の章の見出しに、「往古君民権を争う」とある。つまり、一つの「権」を、「君」と「民」とが争ってきたと理解していた、と考えられるのである。さらに本文中に、
問ふ然らば人民自主の権と、政府管轄の権と、この二者の間に如何なる処置を為て、和調適当なるを得べきや。
とある。ここで「人民自主の権」と「政府管轄の権」とに対応する原文のことばはindividual independenceとsocial controlとである。その意味からして、rightとpowerとに相当する、と言えるが、とにかくこれを、中村が、一つの「権」における「人民自主」と「政府管轄」との対立、としてとらえていることに注目したい。
pp.168-169
民権家たちは、政府の「権」に対して、自分たちもまた、本質的にはそれと等しい「権」を求めた。例えば、民権家たちの求めたのは、まず参政権など政府にあずかる「権」であった。基本的人「権」のような「権」はあまり問題にされなかった。
そして、求められていたのがrightであるよりも多分に「力」であったために、それは比較的容易に理解され、支持された。とくに旧士族たちを惹きつけたであろう。
このことは、おそらく弱点にも係わっている。運動がやがて「権」によって弾圧されたとき、運動家たちの「権」もまた見失われてしまった。あるいは、参政「権」が、曲がりなりにも明治憲法によって与えられたとき、そkにはまだ実現されていない「権」を見失った。rightとは、元来抽象的な、目に見えない観念であって、たとえ具体的な運動は潰されても、それとは別に人々の精神のうちに残っていくはずである。
p.171
rightとか、福沢諭吉の「通義」が、道徳的な正しさと意味の繋がりを保っているのに対して、私たちの「権」には、どこか、力づくの、押しつけがましさ、というような語感がぬぐい切れない。たとえば、日常このことばを口にすると、とかく話がきゅうくつになりがちである。この語感は、日常のいろいろなところで、このことばの具体的表現の中に生きつづけている、と私は考える。
p.172
参照【「翻訳語成立事情」柳父 章 著、岩波新書】
『西洋事情 二編』福沢諭吉著
rightの名詞には、大きく分けると、道徳的な正しさという意味と、右という意味と、今日言う「権利」の意味とがある。また、オランダ語のregtやフランス語のdroitには、英語のrightにはない法律というような意味もある。
pp.155-156
rightの法律上の意味、今日言う「権利」は、道徳上の正しさ、という意味を、少なくとも「正しさ」という意味では受け継いでいる。正当性とか、合法性などともいう。ところが、「権」ということばは、正しさとはむしろ正反対に対立する意味、力というような意味であった。
p.159
『和英語林集成』の初版(1867年)では、「権」はこうなっている。
Ken ケン 権 n.Power, authority, influence, ---wo furu, to show one's power,---wo toru, to hold the power, to have the authority, ---wo hatte mono wo iu, to talk assuming an air of authority.
すなわち、まずPower、つまり力という意味だったのである。
p.160
rightの訳語となっていった「権利」はどうであったか。1891(明治24)年の、大槻文彦の『言海』によると、
ケンリ 権利 身の分際にたもち居て、事に当たりて自ら処分することを得る権力。(義務と対す)
となっている。
pp.160-161
西欧近代におけるrightの意味を、はっきり自覚し、指摘したのは、十七世紀半ば頃のホッブスである。rightとlawについて、rightは、ある事をするかしないかの自由にあるのに対して、lawはそのどちらかに決定し、束縛する、と『レバイヤサン』の中で言っている。
この有名な指摘以来、rightは、古代以来の自然法にとって代わったのである。
p.161
自然法学は、明治期に入ってしばらく受け継がれていたが、明治十年代頃から、ヨーロッパで支配的となってきた法実証主義の法学が主流になった。この考え方によれば、rightは、権力に対して超越的な意味は持たない。rightは、法によって与えられる意思、あるいは利益のことである。この考え方によっても、法によって与えられる力、と言えないこともないが、少なくとも第一には、力ではないのである。
p.162
西周は、どうしてregtを、「権」というずれた意味の、誤解しやすいことばで翻訳したのだろうか。
西は、この翻訳をするときregtを、当時すでに刊行され、読まれていたWilliam Martinの、漢訳「万国公法」を参考にした、と述べている。そこではすでに、「権」という翻訳語が使われていたのである。
p.163
この「権」には、その伝来の意味、力というような意味と、その翻訳語としてのrightの意味とが混在している。
p.168
「民権」ということばは、どうも誤解されていたのではないか、と思う。やはり二つの意味が混在し、その混在に気づかずに使われていたようであった。
それは1872(明治五)年の、中村正直の『自由之理』から始まっていた。同書の最初の章の見出しに、「往古君民権を争う」とある。つまり、一つの「権」を、「君」と「民」とが争ってきたと理解していた、と考えられるのである。さらに本文中に、
問ふ然らば人民自主の権と、政府管轄の権と、この二者の間に如何なる処置を為て、和調適当なるを得べきや。
とある。ここで「人民自主の権」と「政府管轄の権」とに対応する原文のことばはindividual independenceとsocial controlとである。その意味からして、rightとpowerとに相当する、と言えるが、とにかくこれを、中村が、一つの「権」における「人民自主」と「政府管轄」との対立、としてとらえていることに注目したい。
pp.168-169
民権家たちは、政府の「権」に対して、自分たちもまた、本質的にはそれと等しい「権」を求めた。例えば、民権家たちの求めたのは、まず参政権など政府にあずかる「権」であった。基本的人「権」のような「権」はあまり問題にされなかった。
そして、求められていたのがrightであるよりも多分に「力」であったために、それは比較的容易に理解され、支持された。とくに旧士族たちを惹きつけたであろう。
このことは、おそらく弱点にも係わっている。運動がやがて「権」によって弾圧されたとき、運動家たちの「権」もまた見失われてしまった。あるいは、参政「権」が、曲がりなりにも明治憲法によって与えられたとき、そkにはまだ実現されていない「権」を見失った。rightとは、元来抽象的な、目に見えない観念であって、たとえ具体的な運動は潰されても、それとは別に人々の精神のうちに残っていくはずである。
p.171
rightとか、福沢諭吉の「通義」が、道徳的な正しさと意味の繋がりを保っているのに対して、私たちの「権」には、どこか、力づくの、押しつけがましさ、というような語感がぬぐい切れない。たとえば、日常このことばを口にすると、とかく話がきゅうくつになりがちである。この語感は、日常のいろいろなところで、このことばの具体的表現の中に生きつづけている、と私は考える。
p.172
参照【「翻訳語成立事情」柳父 章 著、岩波新書】
Wednesday, July 23, 2008
近代的生活 - modern life
近代になって、世俗化secularizationの過程が進み、デカルト的懐疑が必然的に進行を奪ったため、個体の生命は、もはや不死ではなくなり、少なくとも、不死の確かさを失った。このようなことが起こらなかったとしたら、〈労働する動物〉の勝利はけっして完成しなかったであろう。要するに個体の生命、古代と同じようにふたたび死すべきものとなったのである。しかも世界worldはキリスト教時代のよりも安定性と永続性を欠き、したがって一層信頼できないものとなった。近代人modern peopleは、来世の確かさを失ったとき、自分自身に投げ返されたのであって、世界に投げ返されたのではなかった。彼らは世界が潜在的に不死であるということを信じるどころか、世界が現実的なるものであることにさえ確信がもてなかった。たしかに近代人は、着実に進歩する科学の見るからに悩みのない無批判的なオプティミズムoptimismによって、世界は現実的であると仮定できる。その限りで彼らは、デカルト的超世界性が連れ去った地点よりももっと地球から遠い地点に移動した。「世俗的secular」といういう言葉が一般的に使わされた場合なにを意味しているにせよ、歴史的にそれは世界性worldlinessと同じものではありえない。いずれにせよ、近代人は来世を失ったとき、その代わりに、この世界を手に入れたのではなかった。そして厳密にいえば生命を手に入れたのでもなかった。彼らはただ、生命に投げ返され、内省inner reflectionの閉鎖的closedな内部志向性inner directednessの中に投げ入れらたのである。内省において近代人が経験できた最高のものは、精神が計算するという空虚emptyな過程であり、精神が精神を相手にする戯れであった。そこに残された唯一の内容は、食欲と欲望にすぎなかった。そして近代人は、この肉体の無分別な衝動impulseを情熱passionだと誤解し、それは明らかに「推測するreason」ことができない、つまり計算することができないものであるから、「非理性的irrational」なものと考えたのである。今や、古代における政治体、中世における個体の生命と同じように、潜在的に不死でありうる唯一のものは、生命そのものであり、種としてのヒトの永遠の生命過程であった。
【pp.497-498】
たしかに近代人は、着実に進歩する科学の見るからに悩みのない無批判的なオプティミズムoptimismによって、世界は現実的であると仮定できる。その 限りで彼らは、デカルト的超世界性が連れ去った地点よりももっと地球から遠い地点に移動した。「世俗的secular」といういう言葉が一般的に使わされ た場合なにを意味しているにせよ、歴史的にそれは世界性worldlinessと同じものではありえない。
内省において近代人が経験できた最高のものは、精神が計算するという空虚emptyな過程であり、精神が精神を相手にする戯れであった。そこに残された唯一の内容は、食欲と欲望にすぎなかった。
そして近代人は、この肉体の無分別な衝動impulseを情熱passionだと誤解し、それは明らかに「推測するreason」ことができない、つまり計算することができないものであるから、「非理性的irrational」なものと考えたのである。
社会化されたsocialized人間というのは、ただ一つの利害an interestだけが支配するような社会状態のことであり、この利害の主体は階級かヒトであって、一人の人間でもなければ多数の人びとでもない。肝心な点は、今や人びとが行っていた活動の最後の痕跡、つまり自己利益に含まれていた動機さえ消滅したというこである。残されたものは「自然力」、つまり生命過程そのものの力であって、すべての人、すべての人間的活動力は、等しくその力に屈服した(「思考過程そのものが自然過程である」マルクス)。
【p.498】
たとえば、思考thinkingは、「結果を計算に入れる」ものになったとき、頭脳の一機能となった。その結果、電子計算機の方が私たちよりももっとうまくこのような機能を果たすと考えられている。活動actionは、ただちになによりもまず製作productionの観点から理解されるようになり、今でもそうである。ただ製作だけは、世界性worldlinessをもっており、本来的な生命に無関心である。しかし、今やそれもただ労働の別の形式として見られ、複雑ではあるがそれほど神秘的ではない生命過程の機能として見られるようになった。
【p.499】
労働社会の最終段階である賃仕事人の社会は、そのメンバーに純粋に自動的な機能の働きを要求する。それはあたかも、個体の生命が本当に種の総合的な生命過程の中に浸されたかのようであり、個体が自分から積極的に決定しなければならないのは、ただその個別的ーまだ個体として感じる生きることの苦痛と困難ーをいわば放棄するということだけであり、行動の幻惑され「鎮静された」機能的タイプに黙従することだけであるかのようである。
【p.500】
もっとも重大で危険な兆候がある。それは、人間がダーウィン以来、自分たちの祖先だと想像しているような動物種に自ら進んで退化しようとし、そして実際にそうなりかかっているということである。要するに、もう一度アルキメデスの点の発見に戻り、その発見を ー カフカはそうしないようにと私たちに警告したのであるが — 人間自身と人間がこの地上で行っている事柄に応用するとどうなるだろう。
【p.500】
要するに、私たちは常に地球の外部にある宇宙の一点から自然を操作しているのである。もちろん、私たちは、アルキメデスが立ちたいと願った地点に実際に立っているわけではないし、依然として人間の条件によって地球に拘束されている。しかし、私たちは、地球の上に立ち、地球の自然の内部にいながら、地球を地球の外のアルキメデスの点から自由に扱う方法を発見したのである。そしてあえて自然の生命過程を危険に陥れてまで、地球を自然界とは無縁な宇宙の力に曝しているのである。
【p.421】
人間関係の網の目の中へと活動するもので、
活動の暴露的性格をもち、
さらに物語を生みだして、それを歴史とする能力をそなえる。
(【p.503】の文章を書き直した。)
これらの性格や能力こそ、人間存在に意味を与え、それを照らす源泉そのものを形成するのである。この実存的に最も重要な側面においても、活動は特権的な少数者の経験となっている。そして当然のことながら、活動することの意味をまだ知っているこれらの少数者は、芸術家よりも数が少なく、その経験は、世界の本当の経験、世界にたいする本当の愛loveよりもさらにまれである。
【p.503】
生きた経験としての思考は、これまでずっと、ただ少数者にのみ知られている経験であると考えられてきた。しかし、これはおそらくまちがいだろう。そしてこれらの少数者の数が現代でもそれほど減ってはいないと信じてもさしつかえないだろう。この問題は、世界の将来に関係がなく、関係があるといしても限られたものである。しかし、人間の将来にとっては関連がなくはない。活動的であることの経験だけが、また純粋な活動力の尺度だけが、〈活動的生活〉内部のさまざまな活動力に用いられるものであるとするならば、思考は当然それらの活動力よりもすぐれているだろう。この点でなんらかの経験をしている人なら、カトーの次のような言葉がいかに正しかったか判るであろう。「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない。」
【p.504】
参照【「人間の条件」ハンナ・アレント著,ちくま学芸文庫】
【pp.497-498】
たしかに近代人は、着実に進歩する科学の見るからに悩みのない無批判的なオプティミズムoptimismによって、世界は現実的であると仮定できる。その 限りで彼らは、デカルト的超世界性が連れ去った地点よりももっと地球から遠い地点に移動した。「世俗的secular」といういう言葉が一般的に使わされ た場合なにを意味しているにせよ、歴史的にそれは世界性worldlinessと同じものではありえない。
内省において近代人が経験できた最高のものは、精神が計算するという空虚emptyな過程であり、精神が精神を相手にする戯れであった。そこに残された唯一の内容は、食欲と欲望にすぎなかった。
そして近代人は、この肉体の無分別な衝動impulseを情熱passionだと誤解し、それは明らかに「推測するreason」ことができない、つまり計算することができないものであるから、「非理性的irrational」なものと考えたのである。
社会化されたsocialized人間というのは、ただ一つの利害an interestだけが支配するような社会状態のことであり、この利害の主体は階級かヒトであって、一人の人間でもなければ多数の人びとでもない。肝心な点は、今や人びとが行っていた活動の最後の痕跡、つまり自己利益に含まれていた動機さえ消滅したというこである。残されたものは「自然力」、つまり生命過程そのものの力であって、すべての人、すべての人間的活動力は、等しくその力に屈服した(「思考過程そのものが自然過程である」マルクス)。
【p.498】
たとえば、思考thinkingは、「結果を計算に入れる」ものになったとき、頭脳の一機能となった。その結果、電子計算機の方が私たちよりももっとうまくこのような機能を果たすと考えられている。活動actionは、ただちになによりもまず製作productionの観点から理解されるようになり、今でもそうである。ただ製作だけは、世界性worldlinessをもっており、本来的な生命に無関心である。しかし、今やそれもただ労働の別の形式として見られ、複雑ではあるがそれほど神秘的ではない生命過程の機能として見られるようになった。
【p.499】
労働社会の最終段階である賃仕事人の社会は、そのメンバーに純粋に自動的な機能の働きを要求する。それはあたかも、個体の生命が本当に種の総合的な生命過程の中に浸されたかのようであり、個体が自分から積極的に決定しなければならないのは、ただその個別的ーまだ個体として感じる生きることの苦痛と困難ーをいわば放棄するということだけであり、行動の幻惑され「鎮静された」機能的タイプに黙従することだけであるかのようである。
【p.500】
もっとも重大で危険な兆候がある。それは、人間がダーウィン以来、自分たちの祖先だと想像しているような動物種に自ら進んで退化しようとし、そして実際にそうなりかかっているということである。要するに、もう一度アルキメデスの点の発見に戻り、その発見を ー カフカはそうしないようにと私たちに警告したのであるが — 人間自身と人間がこの地上で行っている事柄に応用するとどうなるだろう。
【p.500】
要するに、私たちは常に地球の外部にある宇宙の一点から自然を操作しているのである。もちろん、私たちは、アルキメデスが立ちたいと願った地点に実際に立っているわけではないし、依然として人間の条件によって地球に拘束されている。しかし、私たちは、地球の上に立ち、地球の自然の内部にいながら、地球を地球の外のアルキメデスの点から自由に扱う方法を発見したのである。そしてあえて自然の生命過程を危険に陥れてまで、地球を自然界とは無縁な宇宙の力に曝しているのである。
【p.421】
人間関係の網の目の中へと活動するもので、
活動の暴露的性格をもち、
さらに物語を生みだして、それを歴史とする能力をそなえる。
(【p.503】の文章を書き直した。)
これらの性格や能力こそ、人間存在に意味を与え、それを照らす源泉そのものを形成するのである。この実存的に最も重要な側面においても、活動は特権的な少数者の経験となっている。そして当然のことながら、活動することの意味をまだ知っているこれらの少数者は、芸術家よりも数が少なく、その経験は、世界の本当の経験、世界にたいする本当の愛loveよりもさらにまれである。
【p.503】
生きた経験としての思考は、これまでずっと、ただ少数者にのみ知られている経験であると考えられてきた。しかし、これはおそらくまちがいだろう。そしてこれらの少数者の数が現代でもそれほど減ってはいないと信じてもさしつかえないだろう。この問題は、世界の将来に関係がなく、関係があるといしても限られたものである。しかし、人間の将来にとっては関連がなくはない。活動的であることの経験だけが、また純粋な活動力の尺度だけが、〈活動的生活〉内部のさまざまな活動力に用いられるものであるとするならば、思考は当然それらの活動力よりもすぐれているだろう。この点でなんらかの経験をしている人なら、カトーの次のような言葉がいかに正しかったか判るであろう。「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない。」
【p.504】
参照【「人間の条件」ハンナ・アレント著,ちくま学芸文庫】
Tuesday, July 01, 2008
近代 - Modern
近代-modernという翻訳語について「翻訳語成立事情」から見てみる。
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一つのことばが,要するにいいか、悪いか、と色づけされ、価値づけされて人々に受けとめられること、これは日本における翻訳語の重要な特徴の一つである、と私は考える。
【p.46】
人がことばをを、憎んだり、あこがれたりしているとき、人はそのことばを機能として使いこなしていない。逆に、そのことばによって、人は支配され、人がことばに使われている。価値づけして見ている分だけ、人はことばに引きまわされている。
このような事情は、「近代」に限らない。本書でとりあげることは、「社会」「自由」などの場合にもはっきりと分かるように、これは私たちの国における翻訳語の基本的な特徴なのである。
【pp.46-47】
『広辞苑』(新村出、1976年、岩波書店)によると、
①近ごろ。現代。②(modern age)歴史の時代区分の一。講義には近世と同義で、一般には封建制社会のあとをうける資本主義社会についていう。日本史では明治維新から太平洋線戦争の終結までとするのが通説。
『オックスフォード英語辞典』によると、modernは、まず、六世紀のラテン語modernusからきていることばで、「ただ今」というような意味である。という。次いで、英語の形容詞modernは、
⑴今ある。
⑵遠い過去と区別して、現在およびそれに近い頃の、またはそれに属している。今の時代の、またはそれに属している、または生まれた。
歴史上の用法としては、通例(古代、中世と対比して)中世に続く時代、およびその時代の事件、人物、作家などを指す。
【pp.50-51】
modernの歴史区分としての意味は、OEDにあるように、第一に、ルネッサンス以後の時代を、中世と区別する時代区分である。『広辞苑』の②に記されている時代区分はもっと新しい。OEDには書かれていないが、modernの用法として、もうひとつ、17・18世紀のブルジョワ革命以後の時代を、それに先行する時代と区別して言う時代区分の意味もある。それにしても、これは西洋史の時代区分であり、『広辞苑』②の方は日本史の時代区分で、この両者の対応は、そう簡単なことではない。
さらに、おそらくもっと重要なことは、modernの場合と違って、「近代」が時代区分としての意味を担うようになったのは、実はこのことばの意味する「近代」の始まりよりももっと新しい。後に述べるように、1950年代以降のことなのである。『広辞苑』に述べられている「日本史では明治維新から太平洋線戦争の終結までとするのが通説」というこの「通説」が確立したと言えるのは、「太平洋戦争の集結」から十年ほどもたった後のことなのである。
【p.52】
1910(明治四三)年の雑誌『文章世界』七月号に、「近代人とは何ぞや」という特集記事が載っている。その初めに、「記者」の署名で、こう述べられている。
近代人といふことのを此の頃よく聞く。此の近代人はいはば近代文芸の核心のようなものであるから、これが真に分かってゐなければ従って現代の文芸も分明に了解は出来ぬであらう。今、諸家に就いて聞き得た高説が、読者諸君を何等かの意味に於いて益する所があれば幸ひだと思ふ。
まず、この文章における「近代」と「現代」の使い分けに注目しよう。「近代」は「近代人」「近代文芸」という熟語で使用され、他方「現代の文芸」という言い方がある。「現代の文芸」とは、明らかに時代区分としての「現代」における「文芸」の意味であるが、「近代文芸」は「近代」という時代区分における「文芸」の意味ではない。それだけではない。時代区分としての意味以外の、ある特別な意味のこもった「近代」が、この記者も言うように、この当時しきりに口にされ、流行していたのである。
【p.60】
この「近代」流行の時代を経て、やがて歴史学者は否応なくこのことばを取り上げ、時代区分の用語としてのオモテの意味を与えるようになる。このオモテの意味は、いわばそのウラの意味があらかじめあったからこそ、与えられるようになったわけである。つまり、初めに、意味の乏しい「近代」ということばの形があって、それがやがてしかるべき意味を獲得していった、というわけであり、それは、私たちにおける翻訳語の意味形成過程を、典型的に物語っているのである。
【p.64】
【参照:「翻訳語成立事情」柳父 章 著、岩波新書】
----
一つのことばが,要するにいいか、悪いか、と色づけされ、価値づけされて人々に受けとめられること、これは日本における翻訳語の重要な特徴の一つである、と私は考える。
【p.46】
人がことばをを、憎んだり、あこがれたりしているとき、人はそのことばを機能として使いこなしていない。逆に、そのことばによって、人は支配され、人がことばに使われている。価値づけして見ている分だけ、人はことばに引きまわされている。
このような事情は、「近代」に限らない。本書でとりあげることは、「社会」「自由」などの場合にもはっきりと分かるように、これは私たちの国における翻訳語の基本的な特徴なのである。
【pp.46-47】
『広辞苑』(新村出、1976年、岩波書店)によると、
①近ごろ。現代。②(modern age)歴史の時代区分の一。講義には近世と同義で、一般には封建制社会のあとをうける資本主義社会についていう。日本史では明治維新から太平洋線戦争の終結までとするのが通説。
『オックスフォード英語辞典』によると、modernは、まず、六世紀のラテン語modernusからきていることばで、「ただ今」というような意味である。という。次いで、英語の形容詞modernは、
⑴今ある。
⑵遠い過去と区別して、現在およびそれに近い頃の、またはそれに属している。今の時代の、またはそれに属している、または生まれた。
歴史上の用法としては、通例(古代、中世と対比して)中世に続く時代、およびその時代の事件、人物、作家などを指す。
【pp.50-51】
modernの歴史区分としての意味は、OEDにあるように、第一に、ルネッサンス以後の時代を、中世と区別する時代区分である。『広辞苑』の②に記されている時代区分はもっと新しい。OEDには書かれていないが、modernの用法として、もうひとつ、17・18世紀のブルジョワ革命以後の時代を、それに先行する時代と区別して言う時代区分の意味もある。それにしても、これは西洋史の時代区分であり、『広辞苑』②の方は日本史の時代区分で、この両者の対応は、そう簡単なことではない。
さらに、おそらくもっと重要なことは、modernの場合と違って、「近代」が時代区分としての意味を担うようになったのは、実はこのことばの意味する「近代」の始まりよりももっと新しい。後に述べるように、1950年代以降のことなのである。『広辞苑』に述べられている「日本史では明治維新から太平洋線戦争の終結までとするのが通説」というこの「通説」が確立したと言えるのは、「太平洋戦争の集結」から十年ほどもたった後のことなのである。
【p.52】
1910(明治四三)年の雑誌『文章世界』七月号に、「近代人とは何ぞや」という特集記事が載っている。その初めに、「記者」の署名で、こう述べられている。
近代人といふことのを此の頃よく聞く。此の近代人はいはば近代文芸の核心のようなものであるから、これが真に分かってゐなければ従って現代の文芸も分明に了解は出来ぬであらう。今、諸家に就いて聞き得た高説が、読者諸君を何等かの意味に於いて益する所があれば幸ひだと思ふ。
まず、この文章における「近代」と「現代」の使い分けに注目しよう。「近代」は「近代人」「近代文芸」という熟語で使用され、他方「現代の文芸」という言い方がある。「現代の文芸」とは、明らかに時代区分としての「現代」における「文芸」の意味であるが、「近代文芸」は「近代」という時代区分における「文芸」の意味ではない。それだけではない。時代区分としての意味以外の、ある特別な意味のこもった「近代」が、この記者も言うように、この当時しきりに口にされ、流行していたのである。
【p.60】
この「近代」流行の時代を経て、やがて歴史学者は否応なくこのことばを取り上げ、時代区分の用語としてのオモテの意味を与えるようになる。このオモテの意味は、いわばそのウラの意味があらかじめあったからこそ、与えられるようになったわけである。つまり、初めに、意味の乏しい「近代」ということばの形があって、それがやがてしかるべき意味を獲得していった、というわけであり、それは、私たちにおける翻訳語の意味形成過程を、典型的に物語っているのである。
【p.64】
【参照:「翻訳語成立事情」柳父 章 著、岩波新書】
Monday, June 30, 2008
大衆社会 - mass society
日本語で社会というとき,それは大衆社会の意味を含んでいる場合もあるように思う。しかし,society とmass societyの意味は大きく異なる。また,societyとindividualは相対する意味を持つことばであることについて。
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だが,近代の成立以来釈迦の発展が辿ってきたすべての段階を或る国が実際に経過したかどうかは別にしても、「人口の大半が社会に組み入れられた」ときに大衆社会が登場したのは明らかである。そして、「良き社会」といういう意味での社会は、富だけでなく、余暇の時間すなわち「文化」のために捧げられるべき時間も自由に使えるような人口を含んでいるはずであるから、大衆社会は、人口の大半が肉体を消耗させる労働の重荷から解放され、「文化」のために余暇を十分に使えるようになったという新しい事態を端的に示している。したがって,大衆社会と大衆文化は相互に関連する現象であるように見える。しかし、両者の公分母は大衆ではなくてむしろ社会であり、その内に大衆もまた組み込まれているのである。歴史的に見ても概念的に見ても、社会は大衆社会に先行する。しかも社会という言葉は大衆社会という言葉と同様、すべての時期に適用できる名称ではない。社会はその始まりの時期を歴史的に特定し記述することができる。社会はたしかに大衆社会より旧くからあるが、社会の成立も近代以前には遡らない。適応能力があるにもかかわらずひとりぼっちであること(lonliness) -----ひとりぼっちは孤立(isolation)や孤独(solitude)とは異なる -----、激しやすい正確や節操の欠如、判断力さらには識別力すらもたずに消費する能力、わけてもその自己中心的態度やルソー以来自己疎外と取り違えられてきた宿命的な世界疎外、これら、この間の群集心理学が大衆人に見出した特徴はすべて、数のうえで大衆の問題など存在しなかった良き社会にまず現れたのである。
われわれが18、19世紀に目にする良き社会は、おそらく絶対主義時代のヨーロッパの宮廷、とりわけルイ十四世の宮廷社会に起源をもつ。ルイ十四世は、フランスの貴族を挺身としてヴェルサイユに集め、そのいつ果てるともない宴が生み出さずにはいない陰謀、策動、とめどない噂話によってかれらを楽しみに耽けさせるという単純な手法をとったまでのことである。したがって、まさに近代の芸術形式である小説の真の先駆けとなったのは、冒険家や騎士たちの英雄譚(picaresque romance)よりもむしろ[ルイ十四世下の宮廷生活を描いた]サン=シモンの『回想録』(Mèmoires)であった。他方で小説そのものは、いまなおそうであるように、社会と「個人」の抗争を中心のテーマとする心理学や社会科学の台頭を明らかに先取りするものであった。社会と抗争する個人こそ、近代の大衆人の真の先駆者にほかならない。個人(individual)は、18世紀のルソー、19世紀のジョン・スチュアート・ミルのように社会(society)に公然と反抗せざるえなかった人びとによって概念的に規定され、また実際その姿を見出されてきた。以来、社会とその社会に住まう個人の抗争の物語は、仮構(fiction)の世界のみならず現実においても幾度となく繰り返されてきた。かつては新しい(modern)存在であった個人も、いまではさほど新しい(modern)とはいえなくなっている。個人は、社会の核心部分を構成しながら、社会に対して自らを確立しようとしてはつねに打ち負かされてきたのである。
【参照:pp.267-269, 「文化の危機」,『過去と未来の間』ハンナ・アーレント著,みすず書房】
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だが,近代の成立以来釈迦の発展が辿ってきたすべての段階を或る国が実際に経過したかどうかは別にしても、「人口の大半が社会に組み入れられた」ときに大衆社会が登場したのは明らかである。そして、「良き社会」といういう意味での社会は、富だけでなく、余暇の時間すなわち「文化」のために捧げられるべき時間も自由に使えるような人口を含んでいるはずであるから、大衆社会は、人口の大半が肉体を消耗させる労働の重荷から解放され、「文化」のために余暇を十分に使えるようになったという新しい事態を端的に示している。したがって,大衆社会と大衆文化は相互に関連する現象であるように見える。しかし、両者の公分母は大衆ではなくてむしろ社会であり、その内に大衆もまた組み込まれているのである。歴史的に見ても概念的に見ても、社会は大衆社会に先行する。しかも社会という言葉は大衆社会という言葉と同様、すべての時期に適用できる名称ではない。社会はその始まりの時期を歴史的に特定し記述することができる。社会はたしかに大衆社会より旧くからあるが、社会の成立も近代以前には遡らない。適応能力があるにもかかわらずひとりぼっちであること(lonliness) -----ひとりぼっちは孤立(isolation)や孤独(solitude)とは異なる -----、激しやすい正確や節操の欠如、判断力さらには識別力すらもたずに消費する能力、わけてもその自己中心的態度やルソー以来自己疎外と取り違えられてきた宿命的な世界疎外、これら、この間の群集心理学が大衆人に見出した特徴はすべて、数のうえで大衆の問題など存在しなかった良き社会にまず現れたのである。
われわれが18、19世紀に目にする良き社会は、おそらく絶対主義時代のヨーロッパの宮廷、とりわけルイ十四世の宮廷社会に起源をもつ。ルイ十四世は、フランスの貴族を挺身としてヴェルサイユに集め、そのいつ果てるともない宴が生み出さずにはいない陰謀、策動、とめどない噂話によってかれらを楽しみに耽けさせるという単純な手法をとったまでのことである。したがって、まさに近代の芸術形式である小説の真の先駆けとなったのは、冒険家や騎士たちの英雄譚(picaresque romance)よりもむしろ[ルイ十四世下の宮廷生活を描いた]サン=シモンの『回想録』(Mèmoires)であった。他方で小説そのものは、いまなおそうであるように、社会と「個人」の抗争を中心のテーマとする心理学や社会科学の台頭を明らかに先取りするものであった。社会と抗争する個人こそ、近代の大衆人の真の先駆者にほかならない。個人(individual)は、18世紀のルソー、19世紀のジョン・スチュアート・ミルのように社会(society)に公然と反抗せざるえなかった人びとによって概念的に規定され、また実際その姿を見出されてきた。以来、社会とその社会に住まう個人の抗争の物語は、仮構(fiction)の世界のみならず現実においても幾度となく繰り返されてきた。かつては新しい(modern)存在であった個人も、いまではさほど新しい(modern)とはいえなくなっている。個人は、社会の核心部分を構成しながら、社会に対して自らを確立しようとしてはつねに打ち負かされてきたのである。
【参照:pp.267-269, 「文化の危機」,『過去と未来の間』ハンナ・アーレント著,みすず書房】
Friday, June 27, 2008
社会 - society
都市を考えるうえで言葉の問題を理解しておくことからはじめようと思う.kuriyama
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現在は社会という言葉をあたりまえに使っているが。それは明治時代にsocietyに対応する日本語がなかったために、訳語がつくられ定着した。
society
(1)仲間の人々との結びつき、とくに、友人どうしの、親しみのこもった結びつき、仲間同士の集まり。
(2)同じ種類のもの動詞の結びつき、集まり、交際における生活様式、または生活条件。調和のとれた共存という目的や、互いの利益、防衛などのため、個人の集合体が用いている生活の組織、やり方。
『オックスフォード英語辞典』(OED,1933年)
【p.5】
当時、「国」とか「藩」などということばはあった。が、societyは、究極的には、この(2)でも述べられているように、個人individualを単位とする人間関係である。狭い意味でも広い意味でもそうである。「国」や「藩」では、人々は身分として存在しているのであって、個人としてではない。
【p.6】
かつて、societyに相当する日本語はなかったのである。そして、societyに相当する伝来の日本語がたとえなくても、「社会」という翻訳語がいったん生まれると、societyと機械的に置き換えることが可能なことばとして、使用者はその意味について責任を免除されて使うことができるようになる。
【p.8】
「社」ということばで、同じ目的を持った人々の集まりや、その名前を指す使い方は、日本でも明治以前からあった。
【p.14】
『学問のすすめ』十七編にこういう一節がある。
彼の士君子が世間の栄誉を求めざるは大いに称す可きに似たれども、其これを求めると求めざるとを決するの前に、先ず栄誉の性質を詳らかにせざる可らず。其栄誉なるものはたして虚名の極度にして、医者の玄関、売薬の看版の如くならば、固より之を遠ざけ之を避く可きは論を俟たずといえども、又一方より見れば社会の人事は悉皆虚を以て成るものに非ず。人の知徳は猶花樹の如く、其栄誉人望は猶花の如し。
ここで「社会」は、次節で説明するように、引用文中の初めの方の「世間」と対立するような意味で使われており、広い範囲を指すsocietyの意味に近い、と言えよう。
【p.17】
「世間」ということばは、「社会」と違って、日本語としてすでに千年以上の歴史を持っている。
【p.19】
しかし、この「世間」を、societyの訳語として用いた例は、以外に稀である。そして、「社会」という翻訳語がいったん定着すると、これと対比的に、「世間」は、翻訳的な文章からほとんど退けられていく。このことから、逆に、私たちの翻訳語「社会」の持つ重要な特徴を、以上述べてきたようにとれえることができるのである。つまり、それは肯定的な価値をもっており、かつ意味内容は抽象的である、と。
【p.19】
意味内容が抽象的であるということは、意味が知識として入ってきて、具体的な用例が乏しいので、ことばの意味が乏しく、分かりにくい、ということがある。
そして翻訳語は、こうして意味が乏しいにもかかわらず、漠然と肯定的な、いい意味をもつとされるために、ある時期、盛んに乱用され、流行語となる。
【p.20】
造語された「社会」には、もとの「社」の語感も、「会」の語感も乏しい。このような翻訳造語「社会」には、societyとの意味のずれは、確かにほとんどない。が,共通部分もまた、ほとんどないのである。
【p.22】
文脈の中に置かれたこういうことばは、他のことばとの具体的な脈絡が欠けていても、抽象的な脈絡のままで使用されるのである。
【p.22】
引用『翻訳語成立事情』柳父 章著、岩波新書。
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現在は社会という言葉をあたりまえに使っているが。それは明治時代にsocietyに対応する日本語がなかったために、訳語がつくられ定着した。
society
(1)仲間の人々との結びつき、とくに、友人どうしの、親しみのこもった結びつき、仲間同士の集まり。
(2)同じ種類のもの動詞の結びつき、集まり、交際における生活様式、または生活条件。調和のとれた共存という目的や、互いの利益、防衛などのため、個人の集合体が用いている生活の組織、やり方。
『オックスフォード英語辞典』(OED,1933年)
【p.5】
当時、「国」とか「藩」などということばはあった。が、societyは、究極的には、この(2)でも述べられているように、個人individualを単位とする人間関係である。狭い意味でも広い意味でもそうである。「国」や「藩」では、人々は身分として存在しているのであって、個人としてではない。
【p.6】
かつて、societyに相当する日本語はなかったのである。そして、societyに相当する伝来の日本語がたとえなくても、「社会」という翻訳語がいったん生まれると、societyと機械的に置き換えることが可能なことばとして、使用者はその意味について責任を免除されて使うことができるようになる。
【p.8】
「社」ということばで、同じ目的を持った人々の集まりや、その名前を指す使い方は、日本でも明治以前からあった。
【p.14】
『学問のすすめ』十七編にこういう一節がある。
彼の士君子が世間の栄誉を求めざるは大いに称す可きに似たれども、其これを求めると求めざるとを決するの前に、先ず栄誉の性質を詳らかにせざる可らず。其栄誉なるものはたして虚名の極度にして、医者の玄関、売薬の看版の如くならば、固より之を遠ざけ之を避く可きは論を俟たずといえども、又一方より見れば社会の人事は悉皆虚を以て成るものに非ず。人の知徳は猶花樹の如く、其栄誉人望は猶花の如し。
ここで「社会」は、次節で説明するように、引用文中の初めの方の「世間」と対立するような意味で使われており、広い範囲を指すsocietyの意味に近い、と言えよう。
【p.17】
「世間」ということばは、「社会」と違って、日本語としてすでに千年以上の歴史を持っている。
【p.19】
しかし、この「世間」を、societyの訳語として用いた例は、以外に稀である。そして、「社会」という翻訳語がいったん定着すると、これと対比的に、「世間」は、翻訳的な文章からほとんど退けられていく。このことから、逆に、私たちの翻訳語「社会」の持つ重要な特徴を、以上述べてきたようにとれえることができるのである。つまり、それは肯定的な価値をもっており、かつ意味内容は抽象的である、と。
【p.19】
意味内容が抽象的であるということは、意味が知識として入ってきて、具体的な用例が乏しいので、ことばの意味が乏しく、分かりにくい、ということがある。
そして翻訳語は、こうして意味が乏しいにもかかわらず、漠然と肯定的な、いい意味をもつとされるために、ある時期、盛んに乱用され、流行語となる。
【p.20】
造語された「社会」には、もとの「社」の語感も、「会」の語感も乏しい。このような翻訳造語「社会」には、societyとの意味のずれは、確かにほとんどない。が,共通部分もまた、ほとんどないのである。
【p.22】
文脈の中に置かれたこういうことばは、他のことばとの具体的な脈絡が欠けていても、抽象的な脈絡のままで使用されるのである。
【p.22】
引用『翻訳語成立事情』柳父 章著、岩波新書。
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