Monday, June 30, 2008

大衆社会 - mass society

日本語で社会というとき,それは大衆社会の意味を含んでいる場合もあるように思う。しかし,society とmass societyの意味は大きく異なる。また,societyとindividualは相対する意味を持つことばであることについて。

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 だが,近代の成立以来釈迦の発展が辿ってきたすべての段階を或る国が実際に経過したかどうかは別にしても、「人口の大半が社会に組み入れられた」ときに大衆社会が登場したのは明らかである。そして、「良き社会」といういう意味での社会は、富だけでなく、余暇の時間すなわち「文化」のために捧げられるべき時間も自由に使えるような人口を含んでいるはずであるから、大衆社会は、人口の大半が肉体を消耗させる労働の重荷から解放され、「文化」のために余暇を十分に使えるようになったという新しい事態を端的に示している。したがって,大衆社会と大衆文化は相互に関連する現象であるように見える。しかし、両者の公分母は大衆ではなくてむしろ社会であり、その内に大衆もまた組み込まれているのである。歴史的に見ても概念的に見ても、社会は大衆社会に先行する。しかも社会という言葉は大衆社会という言葉と同様、すべての時期に適用できる名称ではない。社会はその始まりの時期を歴史的に特定し記述することができる。社会はたしかに大衆社会より旧くからあるが、社会の成立も近代以前には遡らない。適応能力があるにもかかわらずひとりぼっちであること(lonliness) -----ひとりぼっちは孤立(isolation)や孤独(solitude)とは異なる -----、激しやすい正確や節操の欠如、判断力さらには識別力すらもたずに消費する能力、わけてもその自己中心的態度やルソー以来自己疎外と取り違えられてきた宿命的な世界疎外、これら、この間の群集心理学が大衆人に見出した特徴はすべて、数のうえで大衆の問題など存在しなかった良き社会にまず現れたのである。
 われわれが18、19世紀に目にする良き社会は、おそらく絶対主義時代のヨーロッパの宮廷、とりわけルイ十四世の宮廷社会に起源をもつ。ルイ十四世は、フランスの貴族を挺身としてヴェルサイユに集め、そのいつ果てるともない宴が生み出さずにはいない陰謀、策動、とめどない噂話によってかれらを楽しみに耽けさせるという単純な手法をとったまでのことである。したがって、まさに近代の芸術形式である小説の真の先駆けとなったのは、冒険家や騎士たちの英雄譚(picaresque romance)よりもむしろ[ルイ十四世下の宮廷生活を描いた]サン=シモンの『回想録』(Mèmoires)であった。他方で小説そのものは、いまなおそうであるように、社会と「個人」の抗争を中心のテーマとする心理学や社会科学の台頭を明らかに先取りするものであった。社会と抗争する個人こそ、近代の大衆人の真の先駆者にほかならない。個人(individual)は、18世紀のルソー、19世紀のジョン・スチュアート・ミルのように社会(society)に公然と反抗せざるえなかった人びとによって概念的に規定され、また実際その姿を見出されてきた。以来、社会とその社会に住まう個人の抗争の物語は、仮構(fiction)の世界のみならず現実においても幾度となく繰り返されてきた。かつては新しい(modern)存在であった個人も、いまではさほど新しい(modern)とはいえなくなっている。個人は、社会の核心部分を構成しながら、社会に対して自らを確立しようとしてはつねに打ち負かされてきたのである。
【参照:pp.267-269, 「文化の危機」,『過去と未来の間』ハンナ・アーレント著,みすず書房】

Sunday, June 29, 2008

個人- individual

「個人」という語が普及したのは、自我・自己を主張する思想の移入と無関係ではなかった。
【p.180】

明治20年代にはいると、イプセンやニーチェの個人主義 individualism の思想が輸入され、「個人」の使用率が上がってくる。石川啄木は、その第一声は高山樗牛だという。

蓋し、我々明治の青年が、全く租父兄の手によって造り出された明治新社会の完成のために有用な人物となるべく教育されて来た間に、別に青年自体の権利を
認し、自発的に自己を主張しはじめたのは、誰も知る如く、日清戦争の結果によって国民全体が其国民的自覚の勃興を示してから間もなくのことであった。既に自然主義運動の先蹤として一部の間でみとめれている如く、樗牛の個人主義は即ち其第一声であった。
(「時代閉塞の現状」石川啄木著,明治四十三年)
【p.180】

参照【「明治生れの日本語」飛田良文著,淡文社】

Friday, June 27, 2008

個人 - individual

社会-societyは,個人-individualの集合体が用いている生活の組織、やり方。という意味があるので、個人-individualについて。

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幕末のころ日本でも出回っていたいた各種の『英華字典』(1822年)では、indibidualの項は、「単、独、単一個」だが、次の例文がある。
There is but a single individual there.
そしてこれが、「独有一個人那所に在り」と訳されている。
【p.25】

「一個人」や「個人」は、individualの意味を伝える訳語ではなかった。「個人」の「個」とは、一個、二個と数えるときの「個」であり、その「個」に「人」が組み合わされた「個人」という複数後は、日本語における伝統的な漢字の語感とは、ずい分ずれていたに違いないのである。
【p.27】

仲間会所即チ政府ニテ、人民各箇ノ上ニ施コシ行フ権勢ノ限界ヲ論ズ
とある。
ミルの原文の方を見てみると、
OF THE LIMITS TO THE AUTHORITY OF SOCIETY OVER THE INDIVIDUAL (J.S.Mill:On Liberty, 1959)
とあり、これは第四章の見出しと、下記始めの部分である。原文の見出し中のindividualhaは、the authority of societyと対立することばである。西欧人のものの考え方の一つの基本であるindividualとsocietyとの対立の図式が、ここにはっきり見てとれる。
【p.29】

individualが、civilizationの重要な要素とされているギゾーの考えを、civilizationのもとの意味にかえって、「都府に住する人は」というようにとらえ、その内容の一つを「身持」として、日本語の文脈でとらえた、と思われる。civilizationとは、もともとcityの形容詞civilの名詞形だからである。
【p.31】

individualということばは、ヨーロッパの歴史の中で、たとえばmanとか、human beingなどとは違った思想的な背景を持っている。それは、神に対して一人でいる人間、また、社会に対して、究極的な単位として一人でいる人間、というような思想とともに口にされてきた。
【pp.32-33】

中江兆民の仏学塾で、1891年に出した『仏和辞林』の改訂版によると、individuの項は同じだが、(「一個物、一個人」)、individualismeの項は、「独立派(理)、独立論、個人主義」となって、「個人主義」ということばがつけ加えられている。この頃から、「個人」ということばが広く使われるようになった。と考えられる。
【p.42】

参照『翻訳語成立事情』柳父 章著、岩波新書。

社会 - society

都市を考えるうえで言葉の問題を理解しておくことからはじめようと思う.kuriyama

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現在は社会という言葉をあたりまえに使っているが。それは明治時代にsocietyに対応する日本語がなかったために、訳語がつくられ定着した。

society
(1)仲間の人々との結びつき、とくに、友人どうしの、親しみのこもった結びつき、仲間同士の集まり。
(2)同じ種類のもの動詞の結びつき、集まり、交際における生活様式、または生活条件。調和のとれた共存という目的や、互いの利益、防衛などのため、個人の集合体が用いている生活の組織、やり方。
『オックスフォード英語辞典』(OED,1933年)
【p.5】

当時、「国」とか「藩」などということばはあった。が、societyは、究極的には、この(2)でも述べられているように、個人individualを単位とする人間関係である。狭い意味でも広い意味でもそうである。「国」や「藩」では、人々は身分として存在しているのであって、個人としてではない。
【p.6】

かつて、societyに相当する日本語はなかったのである。そして、societyに相当する伝来の日本語がたとえなくても、「社会」という翻訳語がいったん生まれると、societyと機械的に置き換えることが可能なことばとして、使用者はその意味について責任を免除されて使うことができるようになる。
【p.8】

「社」ということばで、同じ目的を持った人々の集まりや、その名前を指す使い方は、日本でも明治以前からあった。
【p.14】

『学問のすすめ』十七編にこういう一節がある。
彼の士君子が世間の栄誉を求めざるは大いに称す可きに似たれども、其これを求めると求めざるとを決するの前に、先ず栄誉の性質を詳らかにせざる可らず。其栄誉なるものはたして虚名の極度にして、医者の玄関、売薬の看版の如くならば、固より之を遠ざけ之を避く可きは論を俟たずといえども、又一方より見れば社会の人事は悉皆虚を以て成るものに非ず。人の知徳は猶花樹の如く、其栄誉人望は猶花の如し。
ここで「社会」は、次節で説明するように、引用文中の初めの方の「世間」と対立するような意味で使われており、広い範囲を指すsocietyの意味に近い、と言えよう。
【p.17】

「世間」ということばは、「社会」と違って、日本語としてすでに千年以上の歴史を持っている。
【p.19】

しかし、この「世間」を、societyの訳語として用いた例は、以外に稀である。そして、「社会」という翻訳語がいったん定着すると、これと対比的に、「世間」は、翻訳的な文章からほとんど退けられていく。このことから、逆に、私たちの翻訳語「社会」の持つ重要な特徴を、以上述べてきたようにとれえることができるのである。つまり、それは肯定的な価値をもっており、かつ意味内容は抽象的である、と。
【p.19】

意味内容が抽象的であるということは、意味が知識として入ってきて、具体的な用例が乏しいので、ことばの意味が乏しく、分かりにくい、ということがある。
そして翻訳語は、こうして意味が乏しいにもかかわらず、漠然と肯定的な、いい意味をもつとされるために、ある時期、盛んに乱用され、流行語となる。
【p.20】

造語された「社会」には、もとの「社」の語感も、「会」の語感も乏しい。このような翻訳造語「社会」には、societyとの意味のずれは、確かにほとんどない。が,共通部分もまた、ほとんどないのである。
【p.22】

文脈の中に置かれたこういうことばは、他のことばとの具体的な脈絡が欠けていても、抽象的な脈絡のままで使用されるのである。
【p.22】

引用『翻訳語成立事情』柳父 章著、岩波新書。