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Thursday, October 15, 2009

コミュニティーアート映像祭09 in 歌舞伎町 へいってきました

10月15日、新宿の歌舞伎町〈シネシティー広場〉へ、〈コミュニティーアート映像祭09 秋の宴〉を見にいきました。

歌舞伎町のど真ん中の広場でビデオアートを上映することが、インスタレーション。
私がいたとき、農村や海辺の風景や制服を着た学生たちが、大スクリーンに投影されていた。そのスクリーンの周囲には、赤いジャンバーを来た若者たち(スタッフ)が目立ち、スクリーンの前に並べられた円椅子に座っている人は少ない。見ている人たちの多くは、この広場を取り囲む車止めの柵に座って見ていた。また、道行く人たちや客引きたちも映像を見ていた。
私がカメラを構えると、周囲から視線を感じた。サラリーマン、ホステス、ホスト、ホームレス、などなど。聞こえてくる言語は日本語ばかりでない、英語、中国語、韓国語。。。

この強烈な歌舞伎町イベントは、10月15日と16日、18:00から21:00まで。

今後、広島の高根島、東京の京島、大阪の西成、千葉の船橋、で開催される。詳細は〈コミュニティーアート映像祭09 秋の宴〉へ。



Monday, September 21, 2009

地方にとって特に重要、鳩山総理のクローズな記者会見のニュース

地方で頑張っている人たちやこれから地方で頑張ろうと思っている人たちにとって重要なニュースがネットにでている。しかし先ほど、首都圏郊外に暮らす友人と電話で話したら、彼はこのニュースを知らなかった。
そのネットで話題のニュースとは、鳩山総理の記者会見からフリーランスのジャーナリストやネットニュースメディアなどマイナーメディアの記者たちを閉め出したこと。
政権を取る前には民主党の前小沢党首と鳩山党首(現総理)は、オープンにすることを記者会見で何度も述べていたのに、結局は自民党と同じでオープンにされなかった。その後、岡田外相だけはオープンにすることを発表しました。

さて、その友人はインターネットはほとんど使っておらず、ニュースはテレビと新聞が中心。そして、記者会見をオープンにしなかったことをテレビも新聞も報道していなかったから、私から電話でそれを聴くまで知らなかった。
たぶん、友人のように知らない人たちは結構たくさんいるのではないだろうか。

首都圏のような大都市だと、インターネットを利用していなくても、少し時間がかかるがいずれ書店などで、また口コミでこのニュースを知らないままになる可能性は低い。しかし、地方都市に住む人たちの中にはこのニュースとその問題点を知らないままになってしまう可能性が高い。

何が問題かと考えてみる。
地方で暮らしていくには、それも過疎地であるほど、従来のような仕事と暮らし方が難しくなってきている。それが自民党が先の総選挙で負けた理由でもあろう。
すでに地方に暮らしている人たちの中には、そしてこらから地方で暮らしていこうと思っている人たちも、新しいビジネスと暮らし方と社会のあり方を追求してことになるのだが、そのためには豊富な情報が必要になる。特に、政府や行政が発表する情報は重要となる。なぜなら、自分たちの新しい生き方を判断していくために、分厚い情報が必要だから。
しかし、マスメディアの情報は、どうしても東京を中心とした視点で書かれたものが多かった。その状況は現在も続いていて、地方メディアは東京発のマスメディアのニュースソースを掲載するだけのケースが多い。
一方で、政権を取る前の民主党はオープンな記者会見を開いていて、つまり民主党は自民党に比べて積極的に政策について情報公開を行ってきていた。そこで様々なマイナーなメディアからも多様なニュース情報が配信していた。
私たちは(地方に暮らしていく人たちだけでない)、これからも自分たちの生き方や社会について判断していくので、判断するために情報が公開される必要がある。評価判断するためには、政府行政の情報が少ないのでもっと多くの情報が公開される必要があるのに、最初の鳩山総理の記者会見からディスクロージャー(情報公開)されなかったので問題なのだ。そして、最初から期待を裏切り今後も必要になる様々なレベルのディスクロージャーが行われるのかどうか、どこまでおこなわれるのか、これまでと変わらないのではないかと、危惧されてしまう。

現在ネットでは、このニュースについては、〈記者クラブ〉等のキーワードで検索するとたくさん記事が溢れている。

でもマスコミはこのニュースを報道しそうにないから、地方でネットを使っていない人やネットが繋がり難い地域の人は知りようがないのだろうか?

Saturday, September 19, 2009

野方のシャリキンホッピー

9月13日夕方、Kさんが誘ってくれて、野方にあるヤキトン屋さんに行って来ました。
この店は、彼曰く〈東京で一番美味くホッピーを飲ませる店〉ということでしたが、飲んでみて納得。なんと、キンキンに冷えたジョッキに入った焼酎が〈シャーベットのように〉凍っています。そこに自分でホッピーを入れると、一気にシャーベット状の焼酎が溶け出しながら、ホッピーの中に浮かび上がって来ます。飲んでみると、美味い、その名も〈シャリキンホッピー〉でした。



写真は野方駅前の様子。野方は東京の西部にあります。アクセスは、JR高田馬場駅から西武鉄道に乗換、そして約15分ぐらい。観光地ではないですが、活気があって狭くて圧縮されていて歩くには魅力的な下町です。

徒歩や自転車で散歩してお気に入りの気楽な店でお茶を飲んだりお酒を飲んだりできる選択肢が、地方でも増えるようになればと思います。環境のよい地方に住みたいと思いますが、もし本当に地方に住むならお気に入りのものは全て持っていければよいのですが。。。

ホッピーはノンアルコールの代替ビールで、焼酎に混ぜて飲みます。
日本以外の国にもホッピーのような飲物はあるのでしょうか?

Thursday, September 10, 2009

PWR LIVE!が妻有トリエンナーレを取材放送

J-waveのDJ・モーリー・ロバートソンが大地の芸術祭を動画や音声で取材し、PWR LIVE!という彼のネットメディアで放送している。放送された動画や音声は、アーカイブされいるので後から訊くことができる。
今日の放送では北海道の帯広から、日本の地方が疲弊している問題や、日本が外国から隔絶されて小さい世界にいるような幻想を大衆が抱いてきたことに疑問を述べていて、共感できて面白かった。

http://pwrlive.com/

Tuesday, August 12, 2008

道具, 手段 - device

It has be just constructed, and is beautiful.
The convenience store is near and is convenient.
Quiet residential area and affordable.
Being possible to buy it by this price : only now.

Praising it not is, and praising it by force are clear.
You can surely cheaply buy the building where such PR release queues up .
It is worth doing the discount negotiation.
It writes it dividing PR release into two kinds often seen with the handbill etc.

Stillness.
A sense of existence shines. This quality.
Safety.
It was encompassed by dazzling light.
Spaciousness.
Wonderful.
The environment is excellent.
Designer's.
It is highest good.
It is possible to move in immediately.

The ○ line and the ○ station can be used for the station for ○ minute.
All installed electrical appliances.
The caretaker of building reside.
It walks to the school and the park for ○ minutes.
Ancillary parking.
The sink of kitchen is wide, and the gas stove is 3.

Do you understand the difference?
PR release that you wrote is an unpraising and negative information.

Ref.【from sentences in the weekly manga-magazine ''Morning"】

 活動action以外では、言論は、伝達の手段としてか、あるいは無言でもできるある事柄の単なる付属物としてか、いずれにしても副次的な役割しか果たさないからである。たしかに言論は、伝達と情報の手段として極めて有益である。しかし、伝達と情報の手段としてならば、言論を記号言語に置き代えることもできる。しかもその場合、記号言語の方が、数字やその他の科学教育やある形式の共同作業などの場合に見られるように、一定の意味を伝えるのにはるかに有益であり、便利であろう。またたとえば、活動する人間の能力、とくに協調して活動する能力が自己防衛や利益の追求のような目的に有益であることもたしかである。しかし、ここで問題になっているのは、ただ単に活動を目的のための手段として用いることにすぎない。だから、それと同じ目的を達成するには、むしろ無言の暴力の方がはるかに簡単であることは明らかである。したがって、言論を純粋に有用性の観点からみれば、それは記号言語の不便な代替物であるように見えるし、同じように活動は、暴力の必ずしも効率的でない代替物のように見えるだろう。
参照【p.291, 人間の条件,ハンナ・アレント著,筑摩文庫】

Friday, July 11, 2008

永劫回帰 - eternal recurrence

永劫回帰はドイツ語のdie ewige Wiederkunftの翻訳語。eternal recurrenceはその英訳。

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「永劫回帰の思想は史的事件をすら大量生産品にする。しかしまたこの概念は別の観点から見ると—その裏面にと言ってよいであろうが—経済的状況の痕跡をとどめている。この概念はその唐突な現実性を経済的状況に負うのである。この現実性は、生活環境の確実性が危機の急速な継起によってはなはだしく低減した瞬間にあらわれた。永劫回帰の思想は、永遠が裁量するよりも短い期間に同じ環境が回帰することはもやはけっして期待できないことから、その栄光を獲得したのである。日常的な諸状況の回帰はきわめて緩慢にではあったがいささか稀になっていた。そのために、宇宙的な星座の回帰で満足しなければならないという漠然とした予感が蠢動していたのであろう。要するに、習慣はその機能のいくつかを放棄しはじめていた。「わたしは短い習慣をこのむ」とニーチェは言っている、そして、ボードレールがすでにその生涯にわたって確固とした習慣を発展させることができなかったのである。」(「セントラル・パーク」)
「永劫回帰は幸福の二律背反的な二原理、すなわち、永遠の原理と〈いまいちど〉の原理とをむすびあわせようとする試みである。—永劫回帰の観念は時代の悲惨のなかから幸福の思弁的観念(もしくは幻覚形象)を喚起する。ニーチェのヒロイズムは、俗物の悲惨のなかから近代の幻覚形象を喚起するボードレールのヒロイズムの対蹠物である。」
【pp.179-180】

 ベンヤミンがここで強く批判の対象としてたたかっているのは、”永劫回帰”の概念と一枚の楯の裏表の関係にある”進歩”ないし”連続性”の概念である。彼は、いわゆる文化史の不毛性を次のように批判する。
「要するに、見せかけだけは洞察の推進力を記述しても、弁証法の推進力は見せかけですらも記述しない。なぜなら文化史には、破壊的要素が欠けており、この破壊的要素が弁証法的思考と弁証法論者の経験を確かな根拠のあるものとして保証するのである。たしかに文化史は人類の背中に堆積する財宝の重荷を増加させる。しかし文化史はその財宝を手に入れるために、それを振り落す力を人類に与えない。同様なことが、文化史を導きの星にした、世紀の変わり目の社会主義的教育活動について言える。」
【p.181】

「破局の概念の下に実現するような歴史過程は、じつは思考する人間を、子供が手にもって遊ぶ万華鏡以上にあてにするわけにはいかない。万華鏡を廻せば、秩序づけられていた像は崩れてふたたび新しい秩序をかたちづくる。その像にもそれなりの理由がある。支配層の手中にある諸概念はつねにひとつの〈秩序〉の像を映し出してみせた鏡であった。万華鏡は打ち砕かねばならない。」(「セントラル・パーク」)
【p.182】

つまり、万華鏡は打ち砕かねばならぬということは、同時に、かつてそういう万華鏡を手にして遊んだ子供であった自分をもまた打ち砕かねばならぬという強烈な自己否定の意志と情熱に裏打ちされてでてくる言葉にほかならないのだ。ベンヤミンの文章には、つねに謎めいた、熱気あふれる暗い情熱が感じられるが、ほかならぬその暗いパトスが、いまなお歴史の大きな変動期に身をおいて、わが身を二つに引き裂かれるような内的・外的体験をくり返さなければならない私の心に衝動を与えるのである。
【p.183】

「複製技術に関わりを持つことが、他の研究方向ではほとんどできないような、受容の決定的な意味を解明する。そのやり方によれば芸術作品に生じる物化materializationの過程をある程度の限度内で補正することが可能になる。大衆芸術の考察は天才概念の修正に導く。この考察は、芸術作品の生成にあずかる霊感inspiretionに注意を奪われて、その霊感をして実りあらしめることを可能にする唯一のものである事実を見逃さぬようにとうながす。図像学的解釈iconologyは結合受容と大衆芸術の研究にとって不可欠なものとして現れるだけではない。それはなににもまして、あらゆる形式主義がただぢにそこへ誤り導くことになる侵害を妨げる。」
【p.184】

 複製技術の発展にともなって、芸術では展示価値が高まり、作品は大衆の眼のすぐ間近まで近づけられた。こうして、作品をじっと見つめ、同時に作品から見つめ返されるという、熱っぽい視線の交換から生じてくるアウラは消滅した。しかし、はたしてベンヤミンはアウラの消滅を双手をあげて歓迎し、謳歌しているのであろうか。それとも、アウラの消滅の必然性をはっきり認識しながらも、同時に消え行くアウラに憂愁にみちた別離の眼差しを送っているのだろうか。
 複製芸術にたいするこうしたアンビヴァレンツは、ひとつには、複製芸術作品をすべて商品として大衆に提供する現代社会の機構が、芸術作品の物化を極度に押し進めているっことから生じてくるのであり、二つには、かつてのアウラ的芸術鑑賞においては、作品は観者から隔離されていることによって、蔑視され、凝視によって逆に作品は観者の魂に近づけられたのに反し、複製技術は作品と観者との距離を抹殺することによって、観者を「散漫な試験管」にし、逆に作品を観者の魂から遠ざける作用をする、という逆説が、今日依然として未解説の問題として残されていることから生じてくるのである。
 ”複製技術の領域において迫り来る巨大な諸発明に関するひとつの夢としての永劫回帰の教義”という謎めいた一句が、「セントラル・パーク」のなかに見出される。永劫回帰の夢をベンヤミンがどういうものとして見ていたかは、すでに先に引用したアフォリズムによって明らかだろう。芸術へのテクノロジーの新しい適用に有頂天になっている現代のモダニストたちは、「時代の悲惨のなかから幸福の思弁的観念(もしくは幻覚形象)を喚起する」ことにやっきになっている永劫回帰論者、言い換えれば、革新者の体裁をした現状維持論者にほかならないのではなかろうか。そういうモダニストたちにたいして、共産主義は、芸術の政治化をもってこたえるであろう、という言葉は、(「政治」とならべて「技術」という言葉を補い、「ファシズム」とならべて「モダニズム」という言葉を補うならば)今日なお決然たる挑戦宣言であることをやめていない。
【pp.185-187】

参照【「複製技術時代の芸術」ヴァルター・ベンヤミン著,佐々木基一編集解説より「解説」】

Monday, June 30, 2008

大衆社会 - mass society

日本語で社会というとき,それは大衆社会の意味を含んでいる場合もあるように思う。しかし,society とmass societyの意味は大きく異なる。また,societyとindividualは相対する意味を持つことばであることについて。

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 だが,近代の成立以来釈迦の発展が辿ってきたすべての段階を或る国が実際に経過したかどうかは別にしても、「人口の大半が社会に組み入れられた」ときに大衆社会が登場したのは明らかである。そして、「良き社会」といういう意味での社会は、富だけでなく、余暇の時間すなわち「文化」のために捧げられるべき時間も自由に使えるような人口を含んでいるはずであるから、大衆社会は、人口の大半が肉体を消耗させる労働の重荷から解放され、「文化」のために余暇を十分に使えるようになったという新しい事態を端的に示している。したがって,大衆社会と大衆文化は相互に関連する現象であるように見える。しかし、両者の公分母は大衆ではなくてむしろ社会であり、その内に大衆もまた組み込まれているのである。歴史的に見ても概念的に見ても、社会は大衆社会に先行する。しかも社会という言葉は大衆社会という言葉と同様、すべての時期に適用できる名称ではない。社会はその始まりの時期を歴史的に特定し記述することができる。社会はたしかに大衆社会より旧くからあるが、社会の成立も近代以前には遡らない。適応能力があるにもかかわらずひとりぼっちであること(lonliness) -----ひとりぼっちは孤立(isolation)や孤独(solitude)とは異なる -----、激しやすい正確や節操の欠如、判断力さらには識別力すらもたずに消費する能力、わけてもその自己中心的態度やルソー以来自己疎外と取り違えられてきた宿命的な世界疎外、これら、この間の群集心理学が大衆人に見出した特徴はすべて、数のうえで大衆の問題など存在しなかった良き社会にまず現れたのである。
 われわれが18、19世紀に目にする良き社会は、おそらく絶対主義時代のヨーロッパの宮廷、とりわけルイ十四世の宮廷社会に起源をもつ。ルイ十四世は、フランスの貴族を挺身としてヴェルサイユに集め、そのいつ果てるともない宴が生み出さずにはいない陰謀、策動、とめどない噂話によってかれらを楽しみに耽けさせるという単純な手法をとったまでのことである。したがって、まさに近代の芸術形式である小説の真の先駆けとなったのは、冒険家や騎士たちの英雄譚(picaresque romance)よりもむしろ[ルイ十四世下の宮廷生活を描いた]サン=シモンの『回想録』(Mèmoires)であった。他方で小説そのものは、いまなおそうであるように、社会と「個人」の抗争を中心のテーマとする心理学や社会科学の台頭を明らかに先取りするものであった。社会と抗争する個人こそ、近代の大衆人の真の先駆者にほかならない。個人(individual)は、18世紀のルソー、19世紀のジョン・スチュアート・ミルのように社会(society)に公然と反抗せざるえなかった人びとによって概念的に規定され、また実際その姿を見出されてきた。以来、社会とその社会に住まう個人の抗争の物語は、仮構(fiction)の世界のみならず現実においても幾度となく繰り返されてきた。かつては新しい(modern)存在であった個人も、いまではさほど新しい(modern)とはいえなくなっている。個人は、社会の核心部分を構成しながら、社会に対して自らを確立しようとしてはつねに打ち負かされてきたのである。
【参照:pp.267-269, 「文化の危機」,『過去と未来の間』ハンナ・アーレント著,みすず書房】