譬えば訳書中に往々自由通義の時を用ひたること多しといえども、実は是等の訳字を以て原意を尽くすに足らず。
『西洋事情 二編』福沢諭吉著
rightの名詞には、大きく分けると、道徳的な正しさという意味と、右という意味と、今日言う「権利」の意味とがある。また、オランダ語のregtやフランス語のdroitには、英語のrightにはない法律というような意味もある。
pp.155-156
rightの法律上の意味、今日言う「権利」は、道徳上の正しさ、という意味を、少なくとも「正しさ」という意味では受け継いでいる。正当性とか、合法性などともいう。ところが、「権」ということばは、正しさとはむしろ正反対に対立する意味、力というような意味であった。
p.159
『和英語林集成』の初版(1867年)では、「権」はこうなっている。
Ken ケン 権 n.Power, authority, influence, ---wo furu, to show one's power,---wo toru, to hold the power, to have the authority, ---wo hatte mono wo iu, to talk assuming an air of authority.
すなわち、まずPower、つまり力という意味だったのである。
p.160
rightの訳語となっていった「権利」はどうであったか。1891(明治24)年の、大槻文彦の『言海』によると、
ケンリ 権利 身の分際にたもち居て、事に当たりて自ら処分することを得る権力。(義務と対す)
となっている。
pp.160-161
西欧近代におけるrightの意味を、はっきり自覚し、指摘したのは、十七世紀半ば頃のホッブスである。rightとlawについて、rightは、ある事をするかしないかの自由にあるのに対して、lawはそのどちらかに決定し、束縛する、と『レバイヤサン』の中で言っている。
この有名な指摘以来、rightは、古代以来の自然法にとって代わったのである。
p.161
自然法学は、明治期に入ってしばらく受け継がれていたが、明治十年代頃から、ヨーロッパで支配的となってきた法実証主義の法学が主流になった。この考え方によれば、rightは、権力に対して超越的な意味は持たない。rightは、法によって与えられる意思、あるいは利益のことである。この考え方によっても、法によって与えられる力、と言えないこともないが、少なくとも第一には、力ではないのである。
p.162
西周は、どうしてregtを、「権」というずれた意味の、誤解しやすいことばで翻訳したのだろうか。
西は、この翻訳をするときregtを、当時すでに刊行され、読まれていたWilliam Martinの、漢訳「万国公法」を参考にした、と述べている。そこではすでに、「権」という翻訳語が使われていたのである。
p.163
この「権」には、その伝来の意味、力というような意味と、その翻訳語としてのrightの意味とが混在している。
p.168
「民権」ということばは、どうも誤解されていたのではないか、と思う。やはり二つの意味が混在し、その混在に気づかずに使われていたようであった。
それは1872(明治五)年の、中村正直の『自由之理』から始まっていた。同書の最初の章の見出しに、「往古君民権を争う」とある。つまり、一つの「権」を、「君」と「民」とが争ってきたと理解していた、と考えられるのである。さらに本文中に、
問ふ然らば人民自主の権と、政府管轄の権と、この二者の間に如何なる処置を為て、和調適当なるを得べきや。
とある。ここで「人民自主の権」と「政府管轄の権」とに対応する原文のことばはindividual independenceとsocial controlとである。その意味からして、rightとpowerとに相当する、と言えるが、とにかくこれを、中村が、一つの「権」における「人民自主」と「政府管轄」との対立、としてとらえていることに注目したい。
pp.168-169
民権家たちは、政府の「権」に対して、自分たちもまた、本質的にはそれと等しい「権」を求めた。例えば、民権家たちの求めたのは、まず参政権など政府にあずかる「権」であった。基本的人「権」のような「権」はあまり問題にされなかった。
そして、求められていたのがrightであるよりも多分に「力」であったために、それは比較的容易に理解され、支持された。とくに旧士族たちを惹きつけたであろう。
このことは、おそらく弱点にも係わっている。運動がやがて「権」によって弾圧されたとき、運動家たちの「権」もまた見失われてしまった。あるいは、参政「権」が、曲がりなりにも明治憲法によって与えられたとき、そkにはまだ実現されていない「権」を見失った。rightとは、元来抽象的な、目に見えない観念であって、たとえ具体的な運動は潰されても、それとは別に人々の精神のうちに残っていくはずである。
p.171
rightとか、福沢諭吉の「通義」が、道徳的な正しさと意味の繋がりを保っているのに対して、私たちの「権」には、どこか、力づくの、押しつけがましさ、というような語感がぬぐい切れない。たとえば、日常このことばを口にすると、とかく話がきゅうくつになりがちである。この語感は、日常のいろいろなところで、このことばの具体的表現の中に生きつづけている、と私は考える。
p.172
参照【「翻訳語成立事情」柳父 章 著、岩波新書】
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Friday, August 15, 2008
Sunday, July 27, 2008
未来 - future
Where are you looking now?
Is it ground, or the neighbor, or yourself?
What is the really important one?
The art special school open the course like the festival under the blue sky.
What you have done from your birth to now?
Go for future!
reference【the AD-copy of The Futere Art Academy, in Free paper "NATURAL HI! 2nd", Tokyo, Japan, 08】
PRISM TOWER, It is a place in which it notifies of the future in the center of a city
beforehand.
reference【the AD-copy in Flyer of the new high-rise condo, Tokyo, Japan, 08】
地獄の時間としての「現代modern」。この地獄の懲罰とは、いつでもこの一帯に存在している最新のことがらであり続けねがならないということだ。「繰り返し同じこと」が生じるということが問題なのではないし、ましてここで永遠回帰が問題なのでもない。むしろ肝心なのは、まさしく最新のものにおいて世界の様相がけっして変貌しないということであり、この最新のものが隅々にいたるまでつねに同一のものであり続けるということだ。— これこそが地獄の永遠を形づくっている。「現代modern」をありありと示す特徴の全体を規定するということは、この地獄を描き出すことにほかならないだろう。[SI, 5]
参照【pp.391-392, 「パサージュ論 第3巻」ヴァルター・ベンヤミン著, 岩波現代文庫】
Is it ground, or the neighbor, or yourself?
What is the really important one?
The art special school open the course like the festival under the blue sky.
What you have done from your birth to now?
Go for future!
reference【the AD-copy of The Futere Art Academy, in Free paper "NATURAL HI! 2nd", Tokyo, Japan, 08】
PRISM TOWER, It is a place in which it notifies of the future in the center of a city
beforehand.
reference【the AD-copy in Flyer of the new high-rise condo, Tokyo, Japan, 08】
地獄の時間としての「現代modern」。この地獄の懲罰とは、いつでもこの一帯に存在している最新のことがらであり続けねがならないということだ。「繰り返し同じこと」が生じるということが問題なのではないし、ましてここで永遠回帰が問題なのでもない。むしろ肝心なのは、まさしく最新のものにおいて世界の様相がけっして変貌しないということであり、この最新のものが隅々にいたるまでつねに同一のものであり続けるということだ。— これこそが地獄の永遠を形づくっている。「現代modern」をありありと示す特徴の全体を規定するということは、この地獄を描き出すことにほかならないだろう。[SI, 5]
参照【pp.391-392, 「パサージュ論 第3巻」ヴァルター・ベンヤミン著, 岩波現代文庫】
Wednesday, July 23, 2008
近代的生活 - modern life
近代になって、世俗化secularizationの過程が進み、デカルト的懐疑が必然的に進行を奪ったため、個体の生命は、もはや不死ではなくなり、少なくとも、不死の確かさを失った。このようなことが起こらなかったとしたら、〈労働する動物〉の勝利はけっして完成しなかったであろう。要するに個体の生命、古代と同じようにふたたび死すべきものとなったのである。しかも世界worldはキリスト教時代のよりも安定性と永続性を欠き、したがって一層信頼できないものとなった。近代人modern peopleは、来世の確かさを失ったとき、自分自身に投げ返されたのであって、世界に投げ返されたのではなかった。彼らは世界が潜在的に不死であるということを信じるどころか、世界が現実的なるものであることにさえ確信がもてなかった。たしかに近代人は、着実に進歩する科学の見るからに悩みのない無批判的なオプティミズムoptimismによって、世界は現実的であると仮定できる。その限りで彼らは、デカルト的超世界性が連れ去った地点よりももっと地球から遠い地点に移動した。「世俗的secular」といういう言葉が一般的に使わされた場合なにを意味しているにせよ、歴史的にそれは世界性worldlinessと同じものではありえない。いずれにせよ、近代人は来世を失ったとき、その代わりに、この世界を手に入れたのではなかった。そして厳密にいえば生命を手に入れたのでもなかった。彼らはただ、生命に投げ返され、内省inner reflectionの閉鎖的closedな内部志向性inner directednessの中に投げ入れらたのである。内省において近代人が経験できた最高のものは、精神が計算するという空虚emptyな過程であり、精神が精神を相手にする戯れであった。そこに残された唯一の内容は、食欲と欲望にすぎなかった。そして近代人は、この肉体の無分別な衝動impulseを情熱passionだと誤解し、それは明らかに「推測するreason」ことができない、つまり計算することができないものであるから、「非理性的irrational」なものと考えたのである。今や、古代における政治体、中世における個体の生命と同じように、潜在的に不死でありうる唯一のものは、生命そのものであり、種としてのヒトの永遠の生命過程であった。
【pp.497-498】
たしかに近代人は、着実に進歩する科学の見るからに悩みのない無批判的なオプティミズムoptimismによって、世界は現実的であると仮定できる。その 限りで彼らは、デカルト的超世界性が連れ去った地点よりももっと地球から遠い地点に移動した。「世俗的secular」といういう言葉が一般的に使わされ た場合なにを意味しているにせよ、歴史的にそれは世界性worldlinessと同じものではありえない。
内省において近代人が経験できた最高のものは、精神が計算するという空虚emptyな過程であり、精神が精神を相手にする戯れであった。そこに残された唯一の内容は、食欲と欲望にすぎなかった。
そして近代人は、この肉体の無分別な衝動impulseを情熱passionだと誤解し、それは明らかに「推測するreason」ことができない、つまり計算することができないものであるから、「非理性的irrational」なものと考えたのである。
社会化されたsocialized人間というのは、ただ一つの利害an interestだけが支配するような社会状態のことであり、この利害の主体は階級かヒトであって、一人の人間でもなければ多数の人びとでもない。肝心な点は、今や人びとが行っていた活動の最後の痕跡、つまり自己利益に含まれていた動機さえ消滅したというこである。残されたものは「自然力」、つまり生命過程そのものの力であって、すべての人、すべての人間的活動力は、等しくその力に屈服した(「思考過程そのものが自然過程である」マルクス)。
【p.498】
たとえば、思考thinkingは、「結果を計算に入れる」ものになったとき、頭脳の一機能となった。その結果、電子計算機の方が私たちよりももっとうまくこのような機能を果たすと考えられている。活動actionは、ただちになによりもまず製作productionの観点から理解されるようになり、今でもそうである。ただ製作だけは、世界性worldlinessをもっており、本来的な生命に無関心である。しかし、今やそれもただ労働の別の形式として見られ、複雑ではあるがそれほど神秘的ではない生命過程の機能として見られるようになった。
【p.499】
労働社会の最終段階である賃仕事人の社会は、そのメンバーに純粋に自動的な機能の働きを要求する。それはあたかも、個体の生命が本当に種の総合的な生命過程の中に浸されたかのようであり、個体が自分から積極的に決定しなければならないのは、ただその個別的ーまだ個体として感じる生きることの苦痛と困難ーをいわば放棄するということだけであり、行動の幻惑され「鎮静された」機能的タイプに黙従することだけであるかのようである。
【p.500】
もっとも重大で危険な兆候がある。それは、人間がダーウィン以来、自分たちの祖先だと想像しているような動物種に自ら進んで退化しようとし、そして実際にそうなりかかっているということである。要するに、もう一度アルキメデスの点の発見に戻り、その発見を ー カフカはそうしないようにと私たちに警告したのであるが — 人間自身と人間がこの地上で行っている事柄に応用するとどうなるだろう。
【p.500】
要するに、私たちは常に地球の外部にある宇宙の一点から自然を操作しているのである。もちろん、私たちは、アルキメデスが立ちたいと願った地点に実際に立っているわけではないし、依然として人間の条件によって地球に拘束されている。しかし、私たちは、地球の上に立ち、地球の自然の内部にいながら、地球を地球の外のアルキメデスの点から自由に扱う方法を発見したのである。そしてあえて自然の生命過程を危険に陥れてまで、地球を自然界とは無縁な宇宙の力に曝しているのである。
【p.421】
人間関係の網の目の中へと活動するもので、
活動の暴露的性格をもち、
さらに物語を生みだして、それを歴史とする能力をそなえる。
(【p.503】の文章を書き直した。)
これらの性格や能力こそ、人間存在に意味を与え、それを照らす源泉そのものを形成するのである。この実存的に最も重要な側面においても、活動は特権的な少数者の経験となっている。そして当然のことながら、活動することの意味をまだ知っているこれらの少数者は、芸術家よりも数が少なく、その経験は、世界の本当の経験、世界にたいする本当の愛loveよりもさらにまれである。
【p.503】
生きた経験としての思考は、これまでずっと、ただ少数者にのみ知られている経験であると考えられてきた。しかし、これはおそらくまちがいだろう。そしてこれらの少数者の数が現代でもそれほど減ってはいないと信じてもさしつかえないだろう。この問題は、世界の将来に関係がなく、関係があるといしても限られたものである。しかし、人間の将来にとっては関連がなくはない。活動的であることの経験だけが、また純粋な活動力の尺度だけが、〈活動的生活〉内部のさまざまな活動力に用いられるものであるとするならば、思考は当然それらの活動力よりもすぐれているだろう。この点でなんらかの経験をしている人なら、カトーの次のような言葉がいかに正しかったか判るであろう。「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない。」
【p.504】
参照【「人間の条件」ハンナ・アレント著,ちくま学芸文庫】
【pp.497-498】
たしかに近代人は、着実に進歩する科学の見るからに悩みのない無批判的なオプティミズムoptimismによって、世界は現実的であると仮定できる。その 限りで彼らは、デカルト的超世界性が連れ去った地点よりももっと地球から遠い地点に移動した。「世俗的secular」といういう言葉が一般的に使わされ た場合なにを意味しているにせよ、歴史的にそれは世界性worldlinessと同じものではありえない。
内省において近代人が経験できた最高のものは、精神が計算するという空虚emptyな過程であり、精神が精神を相手にする戯れであった。そこに残された唯一の内容は、食欲と欲望にすぎなかった。
そして近代人は、この肉体の無分別な衝動impulseを情熱passionだと誤解し、それは明らかに「推測するreason」ことができない、つまり計算することができないものであるから、「非理性的irrational」なものと考えたのである。
社会化されたsocialized人間というのは、ただ一つの利害an interestだけが支配するような社会状態のことであり、この利害の主体は階級かヒトであって、一人の人間でもなければ多数の人びとでもない。肝心な点は、今や人びとが行っていた活動の最後の痕跡、つまり自己利益に含まれていた動機さえ消滅したというこである。残されたものは「自然力」、つまり生命過程そのものの力であって、すべての人、すべての人間的活動力は、等しくその力に屈服した(「思考過程そのものが自然過程である」マルクス)。
【p.498】
たとえば、思考thinkingは、「結果を計算に入れる」ものになったとき、頭脳の一機能となった。その結果、電子計算機の方が私たちよりももっとうまくこのような機能を果たすと考えられている。活動actionは、ただちになによりもまず製作productionの観点から理解されるようになり、今でもそうである。ただ製作だけは、世界性worldlinessをもっており、本来的な生命に無関心である。しかし、今やそれもただ労働の別の形式として見られ、複雑ではあるがそれほど神秘的ではない生命過程の機能として見られるようになった。
【p.499】
労働社会の最終段階である賃仕事人の社会は、そのメンバーに純粋に自動的な機能の働きを要求する。それはあたかも、個体の生命が本当に種の総合的な生命過程の中に浸されたかのようであり、個体が自分から積極的に決定しなければならないのは、ただその個別的ーまだ個体として感じる生きることの苦痛と困難ーをいわば放棄するということだけであり、行動の幻惑され「鎮静された」機能的タイプに黙従することだけであるかのようである。
【p.500】
もっとも重大で危険な兆候がある。それは、人間がダーウィン以来、自分たちの祖先だと想像しているような動物種に自ら進んで退化しようとし、そして実際にそうなりかかっているということである。要するに、もう一度アルキメデスの点の発見に戻り、その発見を ー カフカはそうしないようにと私たちに警告したのであるが — 人間自身と人間がこの地上で行っている事柄に応用するとどうなるだろう。
【p.500】
要するに、私たちは常に地球の外部にある宇宙の一点から自然を操作しているのである。もちろん、私たちは、アルキメデスが立ちたいと願った地点に実際に立っているわけではないし、依然として人間の条件によって地球に拘束されている。しかし、私たちは、地球の上に立ち、地球の自然の内部にいながら、地球を地球の外のアルキメデスの点から自由に扱う方法を発見したのである。そしてあえて自然の生命過程を危険に陥れてまで、地球を自然界とは無縁な宇宙の力に曝しているのである。
【p.421】
人間関係の網の目の中へと活動するもので、
活動の暴露的性格をもち、
さらに物語を生みだして、それを歴史とする能力をそなえる。
(【p.503】の文章を書き直した。)
これらの性格や能力こそ、人間存在に意味を与え、それを照らす源泉そのものを形成するのである。この実存的に最も重要な側面においても、活動は特権的な少数者の経験となっている。そして当然のことながら、活動することの意味をまだ知っているこれらの少数者は、芸術家よりも数が少なく、その経験は、世界の本当の経験、世界にたいする本当の愛loveよりもさらにまれである。
【p.503】
生きた経験としての思考は、これまでずっと、ただ少数者にのみ知られている経験であると考えられてきた。しかし、これはおそらくまちがいだろう。そしてこれらの少数者の数が現代でもそれほど減ってはいないと信じてもさしつかえないだろう。この問題は、世界の将来に関係がなく、関係があるといしても限られたものである。しかし、人間の将来にとっては関連がなくはない。活動的であることの経験だけが、また純粋な活動力の尺度だけが、〈活動的生活〉内部のさまざまな活動力に用いられるものであるとするならば、思考は当然それらの活動力よりもすぐれているだろう。この点でなんらかの経験をしている人なら、カトーの次のような言葉がいかに正しかったか判るであろう。「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない。」
【p.504】
参照【「人間の条件」ハンナ・アレント著,ちくま学芸文庫】
Friday, July 11, 2008
永劫回帰 - eternal recurrence
永劫回帰はドイツ語のdie ewige Wiederkunftの翻訳語。eternal recurrenceはその英訳。
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「永劫回帰の思想は史的事件をすら大量生産品にする。しかしまたこの概念は別の観点から見ると—その裏面にと言ってよいであろうが—経済的状況の痕跡をとどめている。この概念はその唐突な現実性を経済的状況に負うのである。この現実性は、生活環境の確実性が危機の急速な継起によってはなはだしく低減した瞬間にあらわれた。永劫回帰の思想は、永遠が裁量するよりも短い期間に同じ環境が回帰することはもやはけっして期待できないことから、その栄光を獲得したのである。日常的な諸状況の回帰はきわめて緩慢にではあったがいささか稀になっていた。そのために、宇宙的な星座の回帰で満足しなければならないという漠然とした予感が蠢動していたのであろう。要するに、習慣はその機能のいくつかを放棄しはじめていた。「わたしは短い習慣をこのむ」とニーチェは言っている、そして、ボードレールがすでにその生涯にわたって確固とした習慣を発展させることができなかったのである。」(「セントラル・パーク」)
「永劫回帰は幸福の二律背反的な二原理、すなわち、永遠の原理と〈いまいちど〉の原理とをむすびあわせようとする試みである。—永劫回帰の観念は時代の悲惨のなかから幸福の思弁的観念(もしくは幻覚形象)を喚起する。ニーチェのヒロイズムは、俗物の悲惨のなかから近代の幻覚形象を喚起するボードレールのヒロイズムの対蹠物である。」
【pp.179-180】
ベンヤミンがここで強く批判の対象としてたたかっているのは、”永劫回帰”の概念と一枚の楯の裏表の関係にある”進歩”ないし”連続性”の概念である。彼は、いわゆる文化史の不毛性を次のように批判する。
「要するに、見せかけだけは洞察の推進力を記述しても、弁証法の推進力は見せかけですらも記述しない。なぜなら文化史には、破壊的要素が欠けており、この破壊的要素が弁証法的思考と弁証法論者の経験を確かな根拠のあるものとして保証するのである。たしかに文化史は人類の背中に堆積する財宝の重荷を増加させる。しかし文化史はその財宝を手に入れるために、それを振り落す力を人類に与えない。同様なことが、文化史を導きの星にした、世紀の変わり目の社会主義的教育活動について言える。」
【p.181】
「破局の概念の下に実現するような歴史過程は、じつは思考する人間を、子供が手にもって遊ぶ万華鏡以上にあてにするわけにはいかない。万華鏡を廻せば、秩序づけられていた像は崩れてふたたび新しい秩序をかたちづくる。その像にもそれなりの理由がある。支配層の手中にある諸概念はつねにひとつの〈秩序〉の像を映し出してみせた鏡であった。万華鏡は打ち砕かねばならない。」(「セントラル・パーク」)
【p.182】
つまり、万華鏡は打ち砕かねばならぬということは、同時に、かつてそういう万華鏡を手にして遊んだ子供であった自分をもまた打ち砕かねばならぬという強烈な自己否定の意志と情熱に裏打ちされてでてくる言葉にほかならないのだ。ベンヤミンの文章には、つねに謎めいた、熱気あふれる暗い情熱が感じられるが、ほかならぬその暗いパトスが、いまなお歴史の大きな変動期に身をおいて、わが身を二つに引き裂かれるような内的・外的体験をくり返さなければならない私の心に衝動を与えるのである。
【p.183】
「複製技術に関わりを持つことが、他の研究方向ではほとんどできないような、受容の決定的な意味を解明する。そのやり方によれば芸術作品に生じる物化materializationの過程をある程度の限度内で補正することが可能になる。大衆芸術の考察は天才概念の修正に導く。この考察は、芸術作品の生成にあずかる霊感inspiretionに注意を奪われて、その霊感をして実りあらしめることを可能にする唯一のものである事実を見逃さぬようにとうながす。図像学的解釈iconologyは結合受容と大衆芸術の研究にとって不可欠なものとして現れるだけではない。それはなににもまして、あらゆる形式主義がただぢにそこへ誤り導くことになる侵害を妨げる。」
【p.184】
複製技術の発展にともなって、芸術では展示価値が高まり、作品は大衆の眼のすぐ間近まで近づけられた。こうして、作品をじっと見つめ、同時に作品から見つめ返されるという、熱っぽい視線の交換から生じてくるアウラは消滅した。しかし、はたしてベンヤミンはアウラの消滅を双手をあげて歓迎し、謳歌しているのであろうか。それとも、アウラの消滅の必然性をはっきり認識しながらも、同時に消え行くアウラに憂愁にみちた別離の眼差しを送っているのだろうか。
複製芸術にたいするこうしたアンビヴァレンツは、ひとつには、複製芸術作品をすべて商品として大衆に提供する現代社会の機構が、芸術作品の物化を極度に押し進めているっことから生じてくるのであり、二つには、かつてのアウラ的芸術鑑賞においては、作品は観者から隔離されていることによって、蔑視され、凝視によって逆に作品は観者の魂に近づけられたのに反し、複製技術は作品と観者との距離を抹殺することによって、観者を「散漫な試験管」にし、逆に作品を観者の魂から遠ざける作用をする、という逆説が、今日依然として未解説の問題として残されていることから生じてくるのである。
”複製技術の領域において迫り来る巨大な諸発明に関するひとつの夢としての永劫回帰の教義”という謎めいた一句が、「セントラル・パーク」のなかに見出される。永劫回帰の夢をベンヤミンがどういうものとして見ていたかは、すでに先に引用したアフォリズムによって明らかだろう。芸術へのテクノロジーの新しい適用に有頂天になっている現代のモダニストたちは、「時代の悲惨のなかから幸福の思弁的観念(もしくは幻覚形象)を喚起する」ことにやっきになっている永劫回帰論者、言い換えれば、革新者の体裁をした現状維持論者にほかならないのではなかろうか。そういうモダニストたちにたいして、共産主義は、芸術の政治化をもってこたえるであろう、という言葉は、(「政治」とならべて「技術」という言葉を補い、「ファシズム」とならべて「モダニズム」という言葉を補うならば)今日なお決然たる挑戦宣言であることをやめていない。
【pp.185-187】
参照【「複製技術時代の芸術」ヴァルター・ベンヤミン著,佐々木基一編集解説より「解説」】
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「永劫回帰の思想は史的事件をすら大量生産品にする。しかしまたこの概念は別の観点から見ると—その裏面にと言ってよいであろうが—経済的状況の痕跡をとどめている。この概念はその唐突な現実性を経済的状況に負うのである。この現実性は、生活環境の確実性が危機の急速な継起によってはなはだしく低減した瞬間にあらわれた。永劫回帰の思想は、永遠が裁量するよりも短い期間に同じ環境が回帰することはもやはけっして期待できないことから、その栄光を獲得したのである。日常的な諸状況の回帰はきわめて緩慢にではあったがいささか稀になっていた。そのために、宇宙的な星座の回帰で満足しなければならないという漠然とした予感が蠢動していたのであろう。要するに、習慣はその機能のいくつかを放棄しはじめていた。「わたしは短い習慣をこのむ」とニーチェは言っている、そして、ボードレールがすでにその生涯にわたって確固とした習慣を発展させることができなかったのである。」(「セントラル・パーク」)
「永劫回帰は幸福の二律背反的な二原理、すなわち、永遠の原理と〈いまいちど〉の原理とをむすびあわせようとする試みである。—永劫回帰の観念は時代の悲惨のなかから幸福の思弁的観念(もしくは幻覚形象)を喚起する。ニーチェのヒロイズムは、俗物の悲惨のなかから近代の幻覚形象を喚起するボードレールのヒロイズムの対蹠物である。」
【pp.179-180】
ベンヤミンがここで強く批判の対象としてたたかっているのは、”永劫回帰”の概念と一枚の楯の裏表の関係にある”進歩”ないし”連続性”の概念である。彼は、いわゆる文化史の不毛性を次のように批判する。
「要するに、見せかけだけは洞察の推進力を記述しても、弁証法の推進力は見せかけですらも記述しない。なぜなら文化史には、破壊的要素が欠けており、この破壊的要素が弁証法的思考と弁証法論者の経験を確かな根拠のあるものとして保証するのである。たしかに文化史は人類の背中に堆積する財宝の重荷を増加させる。しかし文化史はその財宝を手に入れるために、それを振り落す力を人類に与えない。同様なことが、文化史を導きの星にした、世紀の変わり目の社会主義的教育活動について言える。」
【p.181】
「破局の概念の下に実現するような歴史過程は、じつは思考する人間を、子供が手にもって遊ぶ万華鏡以上にあてにするわけにはいかない。万華鏡を廻せば、秩序づけられていた像は崩れてふたたび新しい秩序をかたちづくる。その像にもそれなりの理由がある。支配層の手中にある諸概念はつねにひとつの〈秩序〉の像を映し出してみせた鏡であった。万華鏡は打ち砕かねばならない。」(「セントラル・パーク」)
【p.182】
つまり、万華鏡は打ち砕かねばならぬということは、同時に、かつてそういう万華鏡を手にして遊んだ子供であった自分をもまた打ち砕かねばならぬという強烈な自己否定の意志と情熱に裏打ちされてでてくる言葉にほかならないのだ。ベンヤミンの文章には、つねに謎めいた、熱気あふれる暗い情熱が感じられるが、ほかならぬその暗いパトスが、いまなお歴史の大きな変動期に身をおいて、わが身を二つに引き裂かれるような内的・外的体験をくり返さなければならない私の心に衝動を与えるのである。
【p.183】
「複製技術に関わりを持つことが、他の研究方向ではほとんどできないような、受容の決定的な意味を解明する。そのやり方によれば芸術作品に生じる物化materializationの過程をある程度の限度内で補正することが可能になる。大衆芸術の考察は天才概念の修正に導く。この考察は、芸術作品の生成にあずかる霊感inspiretionに注意を奪われて、その霊感をして実りあらしめることを可能にする唯一のものである事実を見逃さぬようにとうながす。図像学的解釈iconologyは結合受容と大衆芸術の研究にとって不可欠なものとして現れるだけではない。それはなににもまして、あらゆる形式主義がただぢにそこへ誤り導くことになる侵害を妨げる。」
【p.184】
複製技術の発展にともなって、芸術では展示価値が高まり、作品は大衆の眼のすぐ間近まで近づけられた。こうして、作品をじっと見つめ、同時に作品から見つめ返されるという、熱っぽい視線の交換から生じてくるアウラは消滅した。しかし、はたしてベンヤミンはアウラの消滅を双手をあげて歓迎し、謳歌しているのであろうか。それとも、アウラの消滅の必然性をはっきり認識しながらも、同時に消え行くアウラに憂愁にみちた別離の眼差しを送っているのだろうか。
複製芸術にたいするこうしたアンビヴァレンツは、ひとつには、複製芸術作品をすべて商品として大衆に提供する現代社会の機構が、芸術作品の物化を極度に押し進めているっことから生じてくるのであり、二つには、かつてのアウラ的芸術鑑賞においては、作品は観者から隔離されていることによって、蔑視され、凝視によって逆に作品は観者の魂に近づけられたのに反し、複製技術は作品と観者との距離を抹殺することによって、観者を「散漫な試験管」にし、逆に作品を観者の魂から遠ざける作用をする、という逆説が、今日依然として未解説の問題として残されていることから生じてくるのである。
”複製技術の領域において迫り来る巨大な諸発明に関するひとつの夢としての永劫回帰の教義”という謎めいた一句が、「セントラル・パーク」のなかに見出される。永劫回帰の夢をベンヤミンがどういうものとして見ていたかは、すでに先に引用したアフォリズムによって明らかだろう。芸術へのテクノロジーの新しい適用に有頂天になっている現代のモダニストたちは、「時代の悲惨のなかから幸福の思弁的観念(もしくは幻覚形象)を喚起する」ことにやっきになっている永劫回帰論者、言い換えれば、革新者の体裁をした現状維持論者にほかならないのではなかろうか。そういうモダニストたちにたいして、共産主義は、芸術の政治化をもってこたえるであろう、という言葉は、(「政治」とならべて「技術」という言葉を補い、「ファシズム」とならべて「モダニズム」という言葉を補うならば)今日なお決然たる挑戦宣言であることをやめていない。
【pp.185-187】
参照【「複製技術時代の芸術」ヴァルター・ベンヤミン著,佐々木基一編集解説より「解説」】
Tuesday, July 01, 2008
近代 - Modern
近代-modernという翻訳語について「翻訳語成立事情」から見てみる。
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一つのことばが,要するにいいか、悪いか、と色づけされ、価値づけされて人々に受けとめられること、これは日本における翻訳語の重要な特徴の一つである、と私は考える。
【p.46】
人がことばをを、憎んだり、あこがれたりしているとき、人はそのことばを機能として使いこなしていない。逆に、そのことばによって、人は支配され、人がことばに使われている。価値づけして見ている分だけ、人はことばに引きまわされている。
このような事情は、「近代」に限らない。本書でとりあげることは、「社会」「自由」などの場合にもはっきりと分かるように、これは私たちの国における翻訳語の基本的な特徴なのである。
【pp.46-47】
『広辞苑』(新村出、1976年、岩波書店)によると、
①近ごろ。現代。②(modern age)歴史の時代区分の一。講義には近世と同義で、一般には封建制社会のあとをうける資本主義社会についていう。日本史では明治維新から太平洋線戦争の終結までとするのが通説。
『オックスフォード英語辞典』によると、modernは、まず、六世紀のラテン語modernusからきていることばで、「ただ今」というような意味である。という。次いで、英語の形容詞modernは、
⑴今ある。
⑵遠い過去と区別して、現在およびそれに近い頃の、またはそれに属している。今の時代の、またはそれに属している、または生まれた。
歴史上の用法としては、通例(古代、中世と対比して)中世に続く時代、およびその時代の事件、人物、作家などを指す。
【pp.50-51】
modernの歴史区分としての意味は、OEDにあるように、第一に、ルネッサンス以後の時代を、中世と区別する時代区分である。『広辞苑』の②に記されている時代区分はもっと新しい。OEDには書かれていないが、modernの用法として、もうひとつ、17・18世紀のブルジョワ革命以後の時代を、それに先行する時代と区別して言う時代区分の意味もある。それにしても、これは西洋史の時代区分であり、『広辞苑』②の方は日本史の時代区分で、この両者の対応は、そう簡単なことではない。
さらに、おそらくもっと重要なことは、modernの場合と違って、「近代」が時代区分としての意味を担うようになったのは、実はこのことばの意味する「近代」の始まりよりももっと新しい。後に述べるように、1950年代以降のことなのである。『広辞苑』に述べられている「日本史では明治維新から太平洋線戦争の終結までとするのが通説」というこの「通説」が確立したと言えるのは、「太平洋戦争の集結」から十年ほどもたった後のことなのである。
【p.52】
1910(明治四三)年の雑誌『文章世界』七月号に、「近代人とは何ぞや」という特集記事が載っている。その初めに、「記者」の署名で、こう述べられている。
近代人といふことのを此の頃よく聞く。此の近代人はいはば近代文芸の核心のようなものであるから、これが真に分かってゐなければ従って現代の文芸も分明に了解は出来ぬであらう。今、諸家に就いて聞き得た高説が、読者諸君を何等かの意味に於いて益する所があれば幸ひだと思ふ。
まず、この文章における「近代」と「現代」の使い分けに注目しよう。「近代」は「近代人」「近代文芸」という熟語で使用され、他方「現代の文芸」という言い方がある。「現代の文芸」とは、明らかに時代区分としての「現代」における「文芸」の意味であるが、「近代文芸」は「近代」という時代区分における「文芸」の意味ではない。それだけではない。時代区分としての意味以外の、ある特別な意味のこもった「近代」が、この記者も言うように、この当時しきりに口にされ、流行していたのである。
【p.60】
この「近代」流行の時代を経て、やがて歴史学者は否応なくこのことばを取り上げ、時代区分の用語としてのオモテの意味を与えるようになる。このオモテの意味は、いわばそのウラの意味があらかじめあったからこそ、与えられるようになったわけである。つまり、初めに、意味の乏しい「近代」ということばの形があって、それがやがてしかるべき意味を獲得していった、というわけであり、それは、私たちにおける翻訳語の意味形成過程を、典型的に物語っているのである。
【p.64】
【参照:「翻訳語成立事情」柳父 章 著、岩波新書】
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一つのことばが,要するにいいか、悪いか、と色づけされ、価値づけされて人々に受けとめられること、これは日本における翻訳語の重要な特徴の一つである、と私は考える。
【p.46】
人がことばをを、憎んだり、あこがれたりしているとき、人はそのことばを機能として使いこなしていない。逆に、そのことばによって、人は支配され、人がことばに使われている。価値づけして見ている分だけ、人はことばに引きまわされている。
このような事情は、「近代」に限らない。本書でとりあげることは、「社会」「自由」などの場合にもはっきりと分かるように、これは私たちの国における翻訳語の基本的な特徴なのである。
【pp.46-47】
『広辞苑』(新村出、1976年、岩波書店)によると、
①近ごろ。現代。②(modern age)歴史の時代区分の一。講義には近世と同義で、一般には封建制社会のあとをうける資本主義社会についていう。日本史では明治維新から太平洋線戦争の終結までとするのが通説。
『オックスフォード英語辞典』によると、modernは、まず、六世紀のラテン語modernusからきていることばで、「ただ今」というような意味である。という。次いで、英語の形容詞modernは、
⑴今ある。
⑵遠い過去と区別して、現在およびそれに近い頃の、またはそれに属している。今の時代の、またはそれに属している、または生まれた。
歴史上の用法としては、通例(古代、中世と対比して)中世に続く時代、およびその時代の事件、人物、作家などを指す。
【pp.50-51】
modernの歴史区分としての意味は、OEDにあるように、第一に、ルネッサンス以後の時代を、中世と区別する時代区分である。『広辞苑』の②に記されている時代区分はもっと新しい。OEDには書かれていないが、modernの用法として、もうひとつ、17・18世紀のブルジョワ革命以後の時代を、それに先行する時代と区別して言う時代区分の意味もある。それにしても、これは西洋史の時代区分であり、『広辞苑』②の方は日本史の時代区分で、この両者の対応は、そう簡単なことではない。
さらに、おそらくもっと重要なことは、modernの場合と違って、「近代」が時代区分としての意味を担うようになったのは、実はこのことばの意味する「近代」の始まりよりももっと新しい。後に述べるように、1950年代以降のことなのである。『広辞苑』に述べられている「日本史では明治維新から太平洋線戦争の終結までとするのが通説」というこの「通説」が確立したと言えるのは、「太平洋戦争の集結」から十年ほどもたった後のことなのである。
【p.52】
1910(明治四三)年の雑誌『文章世界』七月号に、「近代人とは何ぞや」という特集記事が載っている。その初めに、「記者」の署名で、こう述べられている。
近代人といふことのを此の頃よく聞く。此の近代人はいはば近代文芸の核心のようなものであるから、これが真に分かってゐなければ従って現代の文芸も分明に了解は出来ぬであらう。今、諸家に就いて聞き得た高説が、読者諸君を何等かの意味に於いて益する所があれば幸ひだと思ふ。
まず、この文章における「近代」と「現代」の使い分けに注目しよう。「近代」は「近代人」「近代文芸」という熟語で使用され、他方「現代の文芸」という言い方がある。「現代の文芸」とは、明らかに時代区分としての「現代」における「文芸」の意味であるが、「近代文芸」は「近代」という時代区分における「文芸」の意味ではない。それだけではない。時代区分としての意味以外の、ある特別な意味のこもった「近代」が、この記者も言うように、この当時しきりに口にされ、流行していたのである。
【p.60】
この「近代」流行の時代を経て、やがて歴史学者は否応なくこのことばを取り上げ、時代区分の用語としてのオモテの意味を与えるようになる。このオモテの意味は、いわばそのウラの意味があらかじめあったからこそ、与えられるようになったわけである。つまり、初めに、意味の乏しい「近代」ということばの形があって、それがやがてしかるべき意味を獲得していった、というわけであり、それは、私たちにおける翻訳語の意味形成過程を、典型的に物語っているのである。
【p.64】
【参照:「翻訳語成立事情」柳父 章 著、岩波新書】
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