Sunday, July 13, 2008

自然 - nature

今日の日本では「都市」と「自然」の関係はどうあるべきだと考えられているのだろうか。
「自然」という言葉は、日本が近代化する以前から使われてきた言葉であり、natureの翻訳語として使われるようになった言葉。

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 「自然」ということばも、やはり近代以降、西欧語のnatureの翻訳語として使われるようになった。が、これは翻訳のための新造語ではない。漢籍にもたとえば老子の古い用例があり、日本語としても、仏教用語の「自然jinen」などは、歴史も長いことばである。しかも、近代以降、「自然」が翻訳語として使われるようになっても、同時に、それとは別に、多くの人々に使われつづけていたことばである。つまり、近代以後、今日に至る私たちの「自然」ということばには、新しいnatureの翻訳語としての意味と、古い伝統的な意味とが共存しているのである。
【p.127】

 翻訳語「自然」には、natureという原語の意味と、伝来の日本語としての「自然」の意味とが混在し、その結果として、ただ二つの意味が共存している、というだけではなくて、いわば第三の意味ともいうべき、翻訳語特有の効果を生み出しているのである。
【p.128】

 『広辞苑』(1976年)によると、
し-ぜん[自然]①(ジネンとも)おのずからそうなっているさま。天然のままで人為の加わらないさま。②(nature)(イ)人工・人為になったものとしての文化に対し、人力によって変更・形成・規整されることなく、おのずからなる生成・展開によって成りいでた状態。...(ニ)精神に対して、外的経験の対象の総体。即ち、物体界とその諸現象。
となっている。この①の意味が伝来の日本語の意味で、②が翻訳語「自然」の意味である。
 また『大漢和辞典』(1958年)によると、
【自然】シゼン(一)人為の加わらない義。天然。本来のまま。おのづから。[老子]人法地、地法天、天法道、道法自然。
となっている。老子のこの有名な文句は、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」の「自然」とは、この『大漢和辞典』に述べられている「おのづから」というような意味であり、そしてそれはまた、『広辞苑』で述べられている今日の私たちの「自然」の伝来の意味とも、ほとんど共通なのである。
【pp.132-133】

 natureは客体の側に属し、人為のような主体の側と対立するが、伝来の意味の「自然」とは、主体・客体という対立を消し去ったような、言わば主客未分、主客合一の世界である、といえる。
 さらに、伝来の「自然」は、副詞、または「自然な」のように形容動詞として使われることが多いが、natureは名詞である、という違いがある。これもまた重要である。
【pp.133-134】

 「自然」ということばの翻訳語としての用法には、およそ三つの重要な分野があった。「自然法」という法律上の用法、「自然科学」のような科学上の用法、そして「自然主義」という文学上の用法である。
 この中では「自然法」という用語の定着は、もっとも早かったようである。natural lawは、幕末—明治初期の頃は、「性法」あるいは「天律」などと訳されていた。natureは「性」または「天」というわけである。1881(明治十四年)年、『性法講義抄』と題したボアソナードの講義録が出版されている。講義じたいは1874(明治七)年に行われたものだが、後に司法省法学校の井上操がまとめたものである。それによると、「性法」と並んで、時に「自然法」という用語が使われており、少なくともこの本の出た当時、「自然法」という言い方が、次第に「性法」にとって代わり始めていたことをうかがうことができる。
【pp.137-138】

 「自然」科学の分野では、natureの翻訳語としては、「天」とか「天然」とか「天地」とか「万物」などを使うのがふつうであった。たとえば、1886(明治十九)年、当時の代表的「自然」科学者、石川千代松の『百工開源』では、その「緒言」に、「Nature and Art」(天造と人工)と書かれているのである。
【p.138】

 明治十年代の頃から、「自然科学」上の用語である「自然淘汰」ということばが盛んに使われ、思想界における流行語のひとつともなった。
 「自然淘汰」はもちろんnatural selectionの翻訳語で、ダーウィンの進化論のキー・ワードである。流行のきっかけは、加藤弘之が『人権新説』(1882(明治十五)年)で、これを社会や歴史を分析する概念として使用したことにある。
 では、この「自然淘汰」の「自然」とは何であったのか。結論を先に言うと、この「自然」には、natureの意味は乏しかった。むしろ日本語の「自然」で、「おのずから」の淘汰、というように理解されていた。いや、もっと正確に言えば、前述の、第三の意味をもつことばとしての翻訳語「自然」であった。意味ははっきりしていなくても、翻訳語特有の「効果」によって、ある重要な意味を担っているはずだとされるようなことば、として使われていたのである。
【p.139】

 実はよく意味の分からない、が重要な意味がそこにこめられているに違いない。そういうことばから、天降り的に、演繹的に、深遠な意味が導き出され、論理を導くのである。
【p.142】

 日本の「自然主義」については、すでに多くの意見や批判がある。とくに、naturalismは、その代表者ゾラが、「自然」科学者クロード・ベルナールの「実験医学序説」の影響を受けて、「自然」科学の方法にならって小説を描こうとした方法を意味しているのに、日本の「自然主義」は、それを理解しなかった、あるいは誤解した、と言われるのである。
【p.143】

 一つの翻訳語をめぐる伝来の母国語の意味と、翻訳語の原語の意味との混在という現象は、人々に気づかれがたいのである。
 ただ一つのことば、ただ一つの意味が初めにあって、それを西欧ではnatureと言い、日本では「自然」と言う、のではない。この単純明快な事実を理解することは、しかし非常にむずかしい。とくに日本の知識人にとってむずかしいようである。
 「自然」とは、natureということばが日本にくる以前に日本語であった。それが、natureの翻訳語として用いられるようになって、以後、natureと等しい意味のことばになったわけではない。学者や知識人が、ことばの意味をどう定めようと、単なる記号ならいざ知らず、現実に生きていることばは、少数者の定義で左右できるものではない。また、巌本や花袋が、意識的にはnatureと同じと思いながら、伝来の「自然」の意味を動かしがたかったように、ことばの意味は、使用する人の意識を超えた事実なのである。
【p.145】

 「自然主義」とはnaturalismと等しいことばではなかった。
【p.145】

 花袋は、『花袋文話』(1911(明治44)年)で、こう語っている。
 自分の内面も亦一自然である。他の宇宙が自然であると同じように、矢張自己も一自然であるといふことである。そして同じ法則が、同じリズムが同じやうに自他を透して流れてゐるといふことである。
【p.146】

 島村抱月は、「今の文壇と自然主義」(1907(明治40)年)でこう言う。
 事象に物我の合体を見る、自然はここに至ってその全円を事象の中に展開するのである。その事象は冷かなる現実客観の事象に非ずして、雲の眼開け、生命の機覚めたる刹那の事実である。
 無念無想後の我れの情、我れの生命は、事象と相合体して、生きた自然、開眼した自然の図を作って来る。物我融会して自然の全円を現じ来たるとは此の謂ひである。
【p.147】

 「自他を透して流れてゐる」とか、「物我融会」というように語られる「自然」は、もちろんnatureではなく、伝来の「自然」の意味からやってくる。しかし、こうして語られている「自然」は、伝来の「自然」とまったく同じなのではない。「自然」は、「我」に対して対象化されている。その反対側に、「自然」に対する「我」がいる。
 見出された「我」は、しかし主体としての立場を貫いていくわけではない。見出されると同時に、「自他」一つになり、「融会」しようとする。「自他」の対立する存在の発見と、それにつづく「自他」が一つに帰する運動、それが「自然」なのであり、伝統的な「自然」の意味は、こうしてとりもどされる。
【p.147】

 「自然」は、natureの翻訳語とされることによって、直ちにnatureの意味がそこに乗り移ってきたわけではない。「自然」は、翻訳語とされることによって、まずnatureと同じような語法が使われるようになった。論理学の用語で言えば、内包的な意味はもとのままで、外延的に、あたかもnatureということばのように扱われた。対象世界を語ることばのように扱われた。これは意味の上からは矛盾である。そしてこの矛盾が、新しい意味を求め、「自然」ということばの使用者は、矛盾を埋めるような意味を求めていく。こうして、あえて、意識的に「自然」であろうとし、「自他」「融会」する。「自然」の意味はこうして回復され。同時に新しい意味を生み出しているのである。
【pp.-147-148】

参照【「翻訳語成立事情」柳父 章著,岩波新書】

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