Tuesday, July 01, 2008

近代 - Modern

近代-modernという翻訳語について「翻訳語成立事情」から見てみる。

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 一つのことばが,要するにいいか、悪いか、と色づけされ、価値づけされて人々に受けとめられること、これは日本における翻訳語の重要な特徴の一つである、と私は考える。
【p.46】

 人がことばをを、憎んだり、あこがれたりしているとき、人はそのことばを機能として使いこなしていない。逆に、そのことばによって、人は支配され、人がことばに使われている。価値づけして見ている分だけ、人はことばに引きまわされている。
 このような事情は、「近代」に限らない。本書でとりあげることは、「社会」「自由」などの場合にもはっきりと分かるように、これは私たちの国における翻訳語の基本的な特徴なのである。
【pp.46-47】

 『広辞苑』(新村出、1976年、岩波書店)によると、
 ①近ごろ。現代。②(modern age)歴史の時代区分の一。講義には近世と同義で、一般には封建制社会のあとをうける資本主義社会についていう。日本史では明治維新から太平洋線戦争の終結までとするのが通説。

『オックスフォード英語辞典』によると、modernは、まず、六世紀のラテン語modernusからきていることばで、「ただ今」というような意味である。という。次いで、英語の形容詞modernは、
 ⑴今ある。
 ⑵遠い過去と区別して、現在およびそれに近い頃の、またはそれに属している。今の時代の、またはそれに属している、または生まれた。
 歴史上の用法としては、通例(古代、中世と対比して)中世に続く時代、およびその時代の事件、人物、作家などを指す。
【pp.50-51】

 modernの歴史区分としての意味は、OEDにあるように、第一に、ルネッサンス以後の時代を、中世と区別する時代区分である。『広辞苑』の②に記されている時代区分はもっと新しい。OEDには書かれていないが、modernの用法として、もうひとつ、17・18世紀のブルジョワ革命以後の時代を、それに先行する時代と区別して言う時代区分の意味もある。それにしても、これは西洋史の時代区分であり、『広辞苑』②の方は日本史の時代区分で、この両者の対応は、そう簡単なことではない。
 さらに、おそらくもっと重要なことは、modernの場合と違って、「近代」が時代区分としての意味を担うようになったのは、実はこのことばの意味する「近代」の始まりよりももっと新しい。後に述べるように、1950年代以降のことなのである。『広辞苑』に述べられている「日本史では明治維新から太平洋線戦争の終結までとするのが通説」というこの「通説」が確立したと言えるのは、「太平洋戦争の集結」から十年ほどもたった後のことなのである。
【p.52】

 1910(明治四三)年の雑誌『文章世界』七月号に、「近代人とは何ぞや」という特集記事が載っている。その初めに、「記者」の署名で、こう述べられている。
 
 近代人といふことのを此の頃よく聞く。此の近代人はいはば近代文芸の核心のようなものであるから、これが真に分かってゐなければ従って現代の文芸も分明に了解は出来ぬであらう。今、諸家に就いて聞き得た高説が、読者諸君を何等かの意味に於いて益する所があれば幸ひだと思ふ。

 まず、この文章における「近代」と「現代」の使い分けに注目しよう。「近代」は「近代人」「近代文芸」という熟語で使用され、他方「現代の文芸」という言い方がある。「現代の文芸」とは、明らかに時代区分としての「現代」における「文芸」の意味であるが、「近代文芸」は「近代」という時代区分における「文芸」の意味ではない。それだけではない。時代区分としての意味以外の、ある特別な意味のこもった「近代」が、この記者も言うように、この当時しきりに口にされ、流行していたのである。
【p.60】

この「近代」流行の時代を経て、やがて歴史学者は否応なくこのことばを取り上げ、時代区分の用語としてのオモテの意味を与えるようになる。このオモテの意味は、いわばそのウラの意味があらかじめあったからこそ、与えられるようになったわけである。つまり、初めに、意味の乏しい「近代」ということばの形があって、それがやがてしかるべき意味を獲得していった、というわけであり、それは、私たちにおける翻訳語の意味形成過程を、典型的に物語っているのである。
【p.64】

【参照:「翻訳語成立事情」柳父 章 著、岩波新書】

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