日本語で社会というとき,それは大衆社会の意味を含んでいる場合もあるように思う。しかし,society とmass societyの意味は大きく異なる。また,societyとindividualは相対する意味を持つことばであることについて。
----
だが,近代の成立以来釈迦の発展が辿ってきたすべての段階を或る国が実際に経過したかどうかは別にしても、「人口の大半が社会に組み入れられた」ときに大衆社会が登場したのは明らかである。そして、「良き社会」といういう意味での社会は、富だけでなく、余暇の時間すなわち「文化」のために捧げられるべき時間も自由に使えるような人口を含んでいるはずであるから、大衆社会は、人口の大半が肉体を消耗させる労働の重荷から解放され、「文化」のために余暇を十分に使えるようになったという新しい事態を端的に示している。したがって,大衆社会と大衆文化は相互に関連する現象であるように見える。しかし、両者の公分母は大衆ではなくてむしろ社会であり、その内に大衆もまた組み込まれているのである。歴史的に見ても概念的に見ても、社会は大衆社会に先行する。しかも社会という言葉は大衆社会という言葉と同様、すべての時期に適用できる名称ではない。社会はその始まりの時期を歴史的に特定し記述することができる。社会はたしかに大衆社会より旧くからあるが、社会の成立も近代以前には遡らない。適応能力があるにもかかわらずひとりぼっちであること(lonliness) -----ひとりぼっちは孤立(isolation)や孤独(solitude)とは異なる -----、激しやすい正確や節操の欠如、判断力さらには識別力すらもたずに消費する能力、わけてもその自己中心的態度やルソー以来自己疎外と取り違えられてきた宿命的な世界疎外、これら、この間の群集心理学が大衆人に見出した特徴はすべて、数のうえで大衆の問題など存在しなかった良き社会にまず現れたのである。
われわれが18、19世紀に目にする良き社会は、おそらく絶対主義時代のヨーロッパの宮廷、とりわけルイ十四世の宮廷社会に起源をもつ。ルイ十四世は、フランスの貴族を挺身としてヴェルサイユに集め、そのいつ果てるともない宴が生み出さずにはいない陰謀、策動、とめどない噂話によってかれらを楽しみに耽けさせるという単純な手法をとったまでのことである。したがって、まさに近代の芸術形式である小説の真の先駆けとなったのは、冒険家や騎士たちの英雄譚(picaresque romance)よりもむしろ[ルイ十四世下の宮廷生活を描いた]サン=シモンの『回想録』(Mèmoires)であった。他方で小説そのものは、いまなおそうであるように、社会と「個人」の抗争を中心のテーマとする心理学や社会科学の台頭を明らかに先取りするものであった。社会と抗争する個人こそ、近代の大衆人の真の先駆者にほかならない。個人(individual)は、18世紀のルソー、19世紀のジョン・スチュアート・ミルのように社会(society)に公然と反抗せざるえなかった人びとによって概念的に規定され、また実際その姿を見出されてきた。以来、社会とその社会に住まう個人の抗争の物語は、仮構(fiction)の世界のみならず現実においても幾度となく繰り返されてきた。かつては新しい(modern)存在であった個人も、いまではさほど新しい(modern)とはいえなくなっている。個人は、社会の核心部分を構成しながら、社会に対して自らを確立しようとしてはつねに打ち負かされてきたのである。
【参照:pp.267-269, 「文化の危機」,『過去と未来の間』ハンナ・アーレント著,みすず書房】
Subscribe to:
Post Comments (Atom)
No comments:
Post a Comment