「個人」という語が普及したのは、自我・自己を主張する思想の移入と無関係ではなかった。
【p.180】
明治20年代にはいると、イプセンやニーチェの個人主義 individualism の思想が輸入され、「個人」の使用率が上がってくる。石川啄木は、その第一声は高山樗牛だという。
蓋し、我々明治の青年が、全く租父兄の手によって造り出された明治新社会の完成のために有用な人物となるべく教育されて来た間に、別に青年自体の権利を識認し、自発的に自己を主張しはじめたのは、誰も知る如く、日清戦争の結果によって国民全体が其国民的自覚の勃興を示してから間もなくのことであった。既に自然主義運動の先蹤として一部の間でみとめれている如く、樗牛の個人主義は即ち其第一声であった。
(「時代閉塞の現状」石川啄木著,明治四十三年)
【p.180】
参照【「明治生れの日本語」飛田良文著,淡文社】
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