9月25日、有楽町の日新製鋼ギャラリーで、デビッド・ガースタイン(David Gerstein)を見ました。作品は内容は、人々が街にでて一緒に楽しむこと、例えば、花壇、音楽、散歩、そしてサイクリングなど。個人が自分の世界に引きこもってしまって楽しむというよりは、家族や友人や街のなかで一緒に楽しむことを考えさせられる。
作品の写真は撮影できないので、だいぶ遠くから。。。
満員電車に押しこめられて通勤するより自転車を使って通勤したほうが、安上がりで、環境に優しいエコで、しかも体を動かすからダイエットにもなる。でも、都内だと都市空間が過密で、自転車専用道路を作る余裕は無く、自転車は狭い歩道か危険な車道を走らなくてはならない。また、都内は坂道が多くて、自転車をこぐのがたいへん。
なので、空間にまだ余裕のある地方で、車の少ない道路を自転車で走って、コンパクトに暮らしていくことを空想してしまう。
たぶん将来、日本の街は自転車で暮らしやすい街に作り直す地方都市がもっと増えるかもあるかもしれない。今の日本は東京圏など一部の狭い大都市に人口が集中していますが、それが分散して広々とした地方都市で暮らしたいと考えている人たちは増えているから。また自転車はエコロジカルで持続可能性のある輸送移動手段。さらに、電車やバスに自転車を折り畳んで輪行袋にいれなくても乗せられるようになれば、自転車かなり遠くまでいけるようになるだろう。
その後、有楽町のビックカメラに行くと、自転車の販売コーナーがかなり広い売り場面積をしめていました。電動アシストサイクルに様々なバリエーションが出ていた。電動アシスト付き自転車といえばママチャリのイメージだったが、マウンテンバイクのようなスポーツタイプの自転車にも電動アシストが付いており、これなら山が多くて起伏の激しい妻有のような地域でも、鍛えていない普通の人が自転車を楽しめそうでした。
そんなことを考えて家に戻ると、アメリカのリッジフィールドという街のThe Aldrich Contemporary Art Museumで、自転車をテーマにした〈Bike Rides〉展が、9月26日から始まるとメールが届いていた。
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Saturday, September 26, 2009
Monday, September 14, 2009
越後妻有アートトリエンナーレ2009、音響、ロルフ・ユリウス作品
この作品は、環境音楽であり音響的でした。川西の大白倉集落にありました。まず小さな納屋の中に入って見ると中は真っ暗で、小さな電球一個が灯され、吊るされたスピーカーから小さな音が流れており瞑想的な雰囲気。そして、この納屋を出てその裏にある竹やぶの方へ向うと周囲(左手下がったところある小さな田圃と右手と正面にある竹やぶ)から音楽が聞こえて来る。上り坂の小径を進んでいくと右の竹やぶの中には石の祠があり、竹やぶの中に一脚の椅子がある。それに座わると体の周り回るように音響が仕込んであり、またその音楽と周囲の昆虫の鳴き声や風の音がミックスして聞こえてくる。
この作品はとても繊細なもので、またよく計算されていると思いました。写真中央に椅子が置いてあり、屋外での視覚的な操作はそれだけしかなかった。
この作品はとても繊細なもので、またよく計算されていると思いました。写真中央に椅子が置いてあり、屋外での視覚的な操作はそれだけしかなかった。
越後妻有アートトリエンナーレ2009、屋外彫刻
川西のナカゴグリーンパークに、2000年の大地の芸術祭で設置された柳健司作品。山頂に4つの見晴し台があり、それらの中央に東京やパリまでの大都市や木星など惑星までの距離が彫られたプレートが埋め込まれていた。
妻有の自然の中に設置された屋外彫刻作品のなかでは成功していると思った。
環境のスケールに対して適当なオブジェのスケールで制作し設置することは、都市内で行うよりも自然の中で行うことの方が注意すべきことが多い。また作品の内容に見合った表現を行うことも難しい場合があるようだ。白いギャラリー空間の中でオブジェは自律して見えるが、自然環境の中の作品は環境と作品の相互関係によって観客は意味を読み取らざる得ない。近代的に整備された公園の中で緑の芝生の上に配置することで、オブジェは白いギャラリーの空間にあるように見せるという約束事がある。
しかし、妻有のような生きた自然の中では、観客は感覚により身体的にまず環境を受けとめているので、作品オブジェの文脈として環境をとらえる。または、観客は作品の意味を自分たちを取り囲む自然環境や社会から読み取ろうする。そのために越後妻有では白いギャラリーの中で展開されてきたことの多くはあまりここでは関係がないように思われる。
しかしまた、ほとんどの観客は環境についての認識を言葉で行っているので、自然環境や社会についての言葉をたよりに作品を評価していると言えると思う。
妻有の自然の中に設置された屋外彫刻作品のなかでは成功していると思った。
環境のスケールに対して適当なオブジェのスケールで制作し設置することは、都市内で行うよりも自然の中で行うことの方が注意すべきことが多い。また作品の内容に見合った表現を行うことも難しい場合があるようだ。白いギャラリー空間の中でオブジェは自律して見えるが、自然環境の中の作品は環境と作品の相互関係によって観客は意味を読み取らざる得ない。近代的に整備された公園の中で緑の芝生の上に配置することで、オブジェは白いギャラリーの空間にあるように見せるという約束事がある。
しかし、妻有のような生きた自然の中では、観客は感覚により身体的にまず環境を受けとめているので、作品オブジェの文脈として環境をとらえる。または、観客は作品の意味を自分たちを取り囲む自然環境や社会から読み取ろうする。そのために越後妻有では白いギャラリーの中で展開されてきたことの多くはあまりここでは関係がないように思われる。
しかしまた、ほとんどの観客は環境についての認識を言葉で行っているので、自然環境や社会についての言葉をたよりに作品を評価していると言えると思う。
Sunday, September 13, 2009
越後妻有アートトリエンナーレ2009、剣持和夫作品
9月11日、川西エリアを回りました。このタイトルは、白倉庭園。無数の写真が植物のように休耕田の建ててあります。妻有の自然のスケールに負けないためには、これぐらいは少なくともボリュームが必要だなと改めて実感されました。
このフラットステージが、この作品をジップする必要な要素でした。
サイトは周囲に民家が見えない山のなかにありましたが、ここにいたる道から見える眺望はすばらしかった。
Friday, August 15, 2008
権利 - right
譬えば訳書中に往々自由通義の時を用ひたること多しといえども、実は是等の訳字を以て原意を尽くすに足らず。
『西洋事情 二編』福沢諭吉著
rightの名詞には、大きく分けると、道徳的な正しさという意味と、右という意味と、今日言う「権利」の意味とがある。また、オランダ語のregtやフランス語のdroitには、英語のrightにはない法律というような意味もある。
pp.155-156
rightの法律上の意味、今日言う「権利」は、道徳上の正しさ、という意味を、少なくとも「正しさ」という意味では受け継いでいる。正当性とか、合法性などともいう。ところが、「権」ということばは、正しさとはむしろ正反対に対立する意味、力というような意味であった。
p.159
『和英語林集成』の初版(1867年)では、「権」はこうなっている。
Ken ケン 権 n.Power, authority, influence, ---wo furu, to show one's power,---wo toru, to hold the power, to have the authority, ---wo hatte mono wo iu, to talk assuming an air of authority.
すなわち、まずPower、つまり力という意味だったのである。
p.160
rightの訳語となっていった「権利」はどうであったか。1891(明治24)年の、大槻文彦の『言海』によると、
ケンリ 権利 身の分際にたもち居て、事に当たりて自ら処分することを得る権力。(義務と対す)
となっている。
pp.160-161
西欧近代におけるrightの意味を、はっきり自覚し、指摘したのは、十七世紀半ば頃のホッブスである。rightとlawについて、rightは、ある事をするかしないかの自由にあるのに対して、lawはそのどちらかに決定し、束縛する、と『レバイヤサン』の中で言っている。
この有名な指摘以来、rightは、古代以来の自然法にとって代わったのである。
p.161
自然法学は、明治期に入ってしばらく受け継がれていたが、明治十年代頃から、ヨーロッパで支配的となってきた法実証主義の法学が主流になった。この考え方によれば、rightは、権力に対して超越的な意味は持たない。rightは、法によって与えられる意思、あるいは利益のことである。この考え方によっても、法によって与えられる力、と言えないこともないが、少なくとも第一には、力ではないのである。
p.162
西周は、どうしてregtを、「権」というずれた意味の、誤解しやすいことばで翻訳したのだろうか。
西は、この翻訳をするときregtを、当時すでに刊行され、読まれていたWilliam Martinの、漢訳「万国公法」を参考にした、と述べている。そこではすでに、「権」という翻訳語が使われていたのである。
p.163
この「権」には、その伝来の意味、力というような意味と、その翻訳語としてのrightの意味とが混在している。
p.168
「民権」ということばは、どうも誤解されていたのではないか、と思う。やはり二つの意味が混在し、その混在に気づかずに使われていたようであった。
それは1872(明治五)年の、中村正直の『自由之理』から始まっていた。同書の最初の章の見出しに、「往古君民権を争う」とある。つまり、一つの「権」を、「君」と「民」とが争ってきたと理解していた、と考えられるのである。さらに本文中に、
問ふ然らば人民自主の権と、政府管轄の権と、この二者の間に如何なる処置を為て、和調適当なるを得べきや。
とある。ここで「人民自主の権」と「政府管轄の権」とに対応する原文のことばはindividual independenceとsocial controlとである。その意味からして、rightとpowerとに相当する、と言えるが、とにかくこれを、中村が、一つの「権」における「人民自主」と「政府管轄」との対立、としてとらえていることに注目したい。
pp.168-169
民権家たちは、政府の「権」に対して、自分たちもまた、本質的にはそれと等しい「権」を求めた。例えば、民権家たちの求めたのは、まず参政権など政府にあずかる「権」であった。基本的人「権」のような「権」はあまり問題にされなかった。
そして、求められていたのがrightであるよりも多分に「力」であったために、それは比較的容易に理解され、支持された。とくに旧士族たちを惹きつけたであろう。
このことは、おそらく弱点にも係わっている。運動がやがて「権」によって弾圧されたとき、運動家たちの「権」もまた見失われてしまった。あるいは、参政「権」が、曲がりなりにも明治憲法によって与えられたとき、そkにはまだ実現されていない「権」を見失った。rightとは、元来抽象的な、目に見えない観念であって、たとえ具体的な運動は潰されても、それとは別に人々の精神のうちに残っていくはずである。
p.171
rightとか、福沢諭吉の「通義」が、道徳的な正しさと意味の繋がりを保っているのに対して、私たちの「権」には、どこか、力づくの、押しつけがましさ、というような語感がぬぐい切れない。たとえば、日常このことばを口にすると、とかく話がきゅうくつになりがちである。この語感は、日常のいろいろなところで、このことばの具体的表現の中に生きつづけている、と私は考える。
p.172
参照【「翻訳語成立事情」柳父 章 著、岩波新書】
『西洋事情 二編』福沢諭吉著
rightの名詞には、大きく分けると、道徳的な正しさという意味と、右という意味と、今日言う「権利」の意味とがある。また、オランダ語のregtやフランス語のdroitには、英語のrightにはない法律というような意味もある。
pp.155-156
rightの法律上の意味、今日言う「権利」は、道徳上の正しさ、という意味を、少なくとも「正しさ」という意味では受け継いでいる。正当性とか、合法性などともいう。ところが、「権」ということばは、正しさとはむしろ正反対に対立する意味、力というような意味であった。
p.159
『和英語林集成』の初版(1867年)では、「権」はこうなっている。
Ken ケン 権 n.Power, authority, influence, ---wo furu, to show one's power,---wo toru, to hold the power, to have the authority, ---wo hatte mono wo iu, to talk assuming an air of authority.
すなわち、まずPower、つまり力という意味だったのである。
p.160
rightの訳語となっていった「権利」はどうであったか。1891(明治24)年の、大槻文彦の『言海』によると、
ケンリ 権利 身の分際にたもち居て、事に当たりて自ら処分することを得る権力。(義務と対す)
となっている。
pp.160-161
西欧近代におけるrightの意味を、はっきり自覚し、指摘したのは、十七世紀半ば頃のホッブスである。rightとlawについて、rightは、ある事をするかしないかの自由にあるのに対して、lawはそのどちらかに決定し、束縛する、と『レバイヤサン』の中で言っている。
この有名な指摘以来、rightは、古代以来の自然法にとって代わったのである。
p.161
自然法学は、明治期に入ってしばらく受け継がれていたが、明治十年代頃から、ヨーロッパで支配的となってきた法実証主義の法学が主流になった。この考え方によれば、rightは、権力に対して超越的な意味は持たない。rightは、法によって与えられる意思、あるいは利益のことである。この考え方によっても、法によって与えられる力、と言えないこともないが、少なくとも第一には、力ではないのである。
p.162
西周は、どうしてregtを、「権」というずれた意味の、誤解しやすいことばで翻訳したのだろうか。
西は、この翻訳をするときregtを、当時すでに刊行され、読まれていたWilliam Martinの、漢訳「万国公法」を参考にした、と述べている。そこではすでに、「権」という翻訳語が使われていたのである。
p.163
この「権」には、その伝来の意味、力というような意味と、その翻訳語としてのrightの意味とが混在している。
p.168
「民権」ということばは、どうも誤解されていたのではないか、と思う。やはり二つの意味が混在し、その混在に気づかずに使われていたようであった。
それは1872(明治五)年の、中村正直の『自由之理』から始まっていた。同書の最初の章の見出しに、「往古君民権を争う」とある。つまり、一つの「権」を、「君」と「民」とが争ってきたと理解していた、と考えられるのである。さらに本文中に、
問ふ然らば人民自主の権と、政府管轄の権と、この二者の間に如何なる処置を為て、和調適当なるを得べきや。
とある。ここで「人民自主の権」と「政府管轄の権」とに対応する原文のことばはindividual independenceとsocial controlとである。その意味からして、rightとpowerとに相当する、と言えるが、とにかくこれを、中村が、一つの「権」における「人民自主」と「政府管轄」との対立、としてとらえていることに注目したい。
pp.168-169
民権家たちは、政府の「権」に対して、自分たちもまた、本質的にはそれと等しい「権」を求めた。例えば、民権家たちの求めたのは、まず参政権など政府にあずかる「権」であった。基本的人「権」のような「権」はあまり問題にされなかった。
そして、求められていたのがrightであるよりも多分に「力」であったために、それは比較的容易に理解され、支持された。とくに旧士族たちを惹きつけたであろう。
このことは、おそらく弱点にも係わっている。運動がやがて「権」によって弾圧されたとき、運動家たちの「権」もまた見失われてしまった。あるいは、参政「権」が、曲がりなりにも明治憲法によって与えられたとき、そkにはまだ実現されていない「権」を見失った。rightとは、元来抽象的な、目に見えない観念であって、たとえ具体的な運動は潰されても、それとは別に人々の精神のうちに残っていくはずである。
p.171
rightとか、福沢諭吉の「通義」が、道徳的な正しさと意味の繋がりを保っているのに対して、私たちの「権」には、どこか、力づくの、押しつけがましさ、というような語感がぬぐい切れない。たとえば、日常このことばを口にすると、とかく話がきゅうくつになりがちである。この語感は、日常のいろいろなところで、このことばの具体的表現の中に生きつづけている、と私は考える。
p.172
参照【「翻訳語成立事情」柳父 章 著、岩波新書】
Wednesday, July 23, 2008
近代的生活 - modern life
近代になって、世俗化secularizationの過程が進み、デカルト的懐疑が必然的に進行を奪ったため、個体の生命は、もはや不死ではなくなり、少なくとも、不死の確かさを失った。このようなことが起こらなかったとしたら、〈労働する動物〉の勝利はけっして完成しなかったであろう。要するに個体の生命、古代と同じようにふたたび死すべきものとなったのである。しかも世界worldはキリスト教時代のよりも安定性と永続性を欠き、したがって一層信頼できないものとなった。近代人modern peopleは、来世の確かさを失ったとき、自分自身に投げ返されたのであって、世界に投げ返されたのではなかった。彼らは世界が潜在的に不死であるということを信じるどころか、世界が現実的なるものであることにさえ確信がもてなかった。たしかに近代人は、着実に進歩する科学の見るからに悩みのない無批判的なオプティミズムoptimismによって、世界は現実的であると仮定できる。その限りで彼らは、デカルト的超世界性が連れ去った地点よりももっと地球から遠い地点に移動した。「世俗的secular」といういう言葉が一般的に使わされた場合なにを意味しているにせよ、歴史的にそれは世界性worldlinessと同じものではありえない。いずれにせよ、近代人は来世を失ったとき、その代わりに、この世界を手に入れたのではなかった。そして厳密にいえば生命を手に入れたのでもなかった。彼らはただ、生命に投げ返され、内省inner reflectionの閉鎖的closedな内部志向性inner directednessの中に投げ入れらたのである。内省において近代人が経験できた最高のものは、精神が計算するという空虚emptyな過程であり、精神が精神を相手にする戯れであった。そこに残された唯一の内容は、食欲と欲望にすぎなかった。そして近代人は、この肉体の無分別な衝動impulseを情熱passionだと誤解し、それは明らかに「推測するreason」ことができない、つまり計算することができないものであるから、「非理性的irrational」なものと考えたのである。今や、古代における政治体、中世における個体の生命と同じように、潜在的に不死でありうる唯一のものは、生命そのものであり、種としてのヒトの永遠の生命過程であった。
【pp.497-498】
たしかに近代人は、着実に進歩する科学の見るからに悩みのない無批判的なオプティミズムoptimismによって、世界は現実的であると仮定できる。その 限りで彼らは、デカルト的超世界性が連れ去った地点よりももっと地球から遠い地点に移動した。「世俗的secular」といういう言葉が一般的に使わされ た場合なにを意味しているにせよ、歴史的にそれは世界性worldlinessと同じものではありえない。
内省において近代人が経験できた最高のものは、精神が計算するという空虚emptyな過程であり、精神が精神を相手にする戯れであった。そこに残された唯一の内容は、食欲と欲望にすぎなかった。
そして近代人は、この肉体の無分別な衝動impulseを情熱passionだと誤解し、それは明らかに「推測するreason」ことができない、つまり計算することができないものであるから、「非理性的irrational」なものと考えたのである。
社会化されたsocialized人間というのは、ただ一つの利害an interestだけが支配するような社会状態のことであり、この利害の主体は階級かヒトであって、一人の人間でもなければ多数の人びとでもない。肝心な点は、今や人びとが行っていた活動の最後の痕跡、つまり自己利益に含まれていた動機さえ消滅したというこである。残されたものは「自然力」、つまり生命過程そのものの力であって、すべての人、すべての人間的活動力は、等しくその力に屈服した(「思考過程そのものが自然過程である」マルクス)。
【p.498】
たとえば、思考thinkingは、「結果を計算に入れる」ものになったとき、頭脳の一機能となった。その結果、電子計算機の方が私たちよりももっとうまくこのような機能を果たすと考えられている。活動actionは、ただちになによりもまず製作productionの観点から理解されるようになり、今でもそうである。ただ製作だけは、世界性worldlinessをもっており、本来的な生命に無関心である。しかし、今やそれもただ労働の別の形式として見られ、複雑ではあるがそれほど神秘的ではない生命過程の機能として見られるようになった。
【p.499】
労働社会の最終段階である賃仕事人の社会は、そのメンバーに純粋に自動的な機能の働きを要求する。それはあたかも、個体の生命が本当に種の総合的な生命過程の中に浸されたかのようであり、個体が自分から積極的に決定しなければならないのは、ただその個別的ーまだ個体として感じる生きることの苦痛と困難ーをいわば放棄するということだけであり、行動の幻惑され「鎮静された」機能的タイプに黙従することだけであるかのようである。
【p.500】
もっとも重大で危険な兆候がある。それは、人間がダーウィン以来、自分たちの祖先だと想像しているような動物種に自ら進んで退化しようとし、そして実際にそうなりかかっているということである。要するに、もう一度アルキメデスの点の発見に戻り、その発見を ー カフカはそうしないようにと私たちに警告したのであるが — 人間自身と人間がこの地上で行っている事柄に応用するとどうなるだろう。
【p.500】
要するに、私たちは常に地球の外部にある宇宙の一点から自然を操作しているのである。もちろん、私たちは、アルキメデスが立ちたいと願った地点に実際に立っているわけではないし、依然として人間の条件によって地球に拘束されている。しかし、私たちは、地球の上に立ち、地球の自然の内部にいながら、地球を地球の外のアルキメデスの点から自由に扱う方法を発見したのである。そしてあえて自然の生命過程を危険に陥れてまで、地球を自然界とは無縁な宇宙の力に曝しているのである。
【p.421】
人間関係の網の目の中へと活動するもので、
活動の暴露的性格をもち、
さらに物語を生みだして、それを歴史とする能力をそなえる。
(【p.503】の文章を書き直した。)
これらの性格や能力こそ、人間存在に意味を与え、それを照らす源泉そのものを形成するのである。この実存的に最も重要な側面においても、活動は特権的な少数者の経験となっている。そして当然のことながら、活動することの意味をまだ知っているこれらの少数者は、芸術家よりも数が少なく、その経験は、世界の本当の経験、世界にたいする本当の愛loveよりもさらにまれである。
【p.503】
生きた経験としての思考は、これまでずっと、ただ少数者にのみ知られている経験であると考えられてきた。しかし、これはおそらくまちがいだろう。そしてこれらの少数者の数が現代でもそれほど減ってはいないと信じてもさしつかえないだろう。この問題は、世界の将来に関係がなく、関係があるといしても限られたものである。しかし、人間の将来にとっては関連がなくはない。活動的であることの経験だけが、また純粋な活動力の尺度だけが、〈活動的生活〉内部のさまざまな活動力に用いられるものであるとするならば、思考は当然それらの活動力よりもすぐれているだろう。この点でなんらかの経験をしている人なら、カトーの次のような言葉がいかに正しかったか判るであろう。「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない。」
【p.504】
参照【「人間の条件」ハンナ・アレント著,ちくま学芸文庫】
【pp.497-498】
たしかに近代人は、着実に進歩する科学の見るからに悩みのない無批判的なオプティミズムoptimismによって、世界は現実的であると仮定できる。その 限りで彼らは、デカルト的超世界性が連れ去った地点よりももっと地球から遠い地点に移動した。「世俗的secular」といういう言葉が一般的に使わされ た場合なにを意味しているにせよ、歴史的にそれは世界性worldlinessと同じものではありえない。
内省において近代人が経験できた最高のものは、精神が計算するという空虚emptyな過程であり、精神が精神を相手にする戯れであった。そこに残された唯一の内容は、食欲と欲望にすぎなかった。
そして近代人は、この肉体の無分別な衝動impulseを情熱passionだと誤解し、それは明らかに「推測するreason」ことができない、つまり計算することができないものであるから、「非理性的irrational」なものと考えたのである。
社会化されたsocialized人間というのは、ただ一つの利害an interestだけが支配するような社会状態のことであり、この利害の主体は階級かヒトであって、一人の人間でもなければ多数の人びとでもない。肝心な点は、今や人びとが行っていた活動の最後の痕跡、つまり自己利益に含まれていた動機さえ消滅したというこである。残されたものは「自然力」、つまり生命過程そのものの力であって、すべての人、すべての人間的活動力は、等しくその力に屈服した(「思考過程そのものが自然過程である」マルクス)。
【p.498】
たとえば、思考thinkingは、「結果を計算に入れる」ものになったとき、頭脳の一機能となった。その結果、電子計算機の方が私たちよりももっとうまくこのような機能を果たすと考えられている。活動actionは、ただちになによりもまず製作productionの観点から理解されるようになり、今でもそうである。ただ製作だけは、世界性worldlinessをもっており、本来的な生命に無関心である。しかし、今やそれもただ労働の別の形式として見られ、複雑ではあるがそれほど神秘的ではない生命過程の機能として見られるようになった。
【p.499】
労働社会の最終段階である賃仕事人の社会は、そのメンバーに純粋に自動的な機能の働きを要求する。それはあたかも、個体の生命が本当に種の総合的な生命過程の中に浸されたかのようであり、個体が自分から積極的に決定しなければならないのは、ただその個別的ーまだ個体として感じる生きることの苦痛と困難ーをいわば放棄するということだけであり、行動の幻惑され「鎮静された」機能的タイプに黙従することだけであるかのようである。
【p.500】
もっとも重大で危険な兆候がある。それは、人間がダーウィン以来、自分たちの祖先だと想像しているような動物種に自ら進んで退化しようとし、そして実際にそうなりかかっているということである。要するに、もう一度アルキメデスの点の発見に戻り、その発見を ー カフカはそうしないようにと私たちに警告したのであるが — 人間自身と人間がこの地上で行っている事柄に応用するとどうなるだろう。
【p.500】
要するに、私たちは常に地球の外部にある宇宙の一点から自然を操作しているのである。もちろん、私たちは、アルキメデスが立ちたいと願った地点に実際に立っているわけではないし、依然として人間の条件によって地球に拘束されている。しかし、私たちは、地球の上に立ち、地球の自然の内部にいながら、地球を地球の外のアルキメデスの点から自由に扱う方法を発見したのである。そしてあえて自然の生命過程を危険に陥れてまで、地球を自然界とは無縁な宇宙の力に曝しているのである。
【p.421】
人間関係の網の目の中へと活動するもので、
活動の暴露的性格をもち、
さらに物語を生みだして、それを歴史とする能力をそなえる。
(【p.503】の文章を書き直した。)
これらの性格や能力こそ、人間存在に意味を与え、それを照らす源泉そのものを形成するのである。この実存的に最も重要な側面においても、活動は特権的な少数者の経験となっている。そして当然のことながら、活動することの意味をまだ知っているこれらの少数者は、芸術家よりも数が少なく、その経験は、世界の本当の経験、世界にたいする本当の愛loveよりもさらにまれである。
【p.503】
生きた経験としての思考は、これまでずっと、ただ少数者にのみ知られている経験であると考えられてきた。しかし、これはおそらくまちがいだろう。そしてこれらの少数者の数が現代でもそれほど減ってはいないと信じてもさしつかえないだろう。この問題は、世界の将来に関係がなく、関係があるといしても限られたものである。しかし、人間の将来にとっては関連がなくはない。活動的であることの経験だけが、また純粋な活動力の尺度だけが、〈活動的生活〉内部のさまざまな活動力に用いられるものであるとするならば、思考は当然それらの活動力よりもすぐれているだろう。この点でなんらかの経験をしている人なら、カトーの次のような言葉がいかに正しかったか判るであろう。「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない。」
【p.504】
参照【「人間の条件」ハンナ・アレント著,ちくま学芸文庫】
Sunday, July 13, 2008
自然 - nature
今日の日本では「都市」と「自然」の関係はどうあるべきだと考えられているのだろうか。
「自然」という言葉は、日本が近代化する以前から使われてきた言葉であり、natureの翻訳語として使われるようになった言葉。
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「自然」ということばも、やはり近代以降、西欧語のnatureの翻訳語として使われるようになった。が、これは翻訳のための新造語ではない。漢籍にもたとえば老子の古い用例があり、日本語としても、仏教用語の「自然jinen」などは、歴史も長いことばである。しかも、近代以降、「自然」が翻訳語として使われるようになっても、同時に、それとは別に、多くの人々に使われつづけていたことばである。つまり、近代以後、今日に至る私たちの「自然」ということばには、新しいnatureの翻訳語としての意味と、古い伝統的な意味とが共存しているのである。
【p.127】
翻訳語「自然」には、natureという原語の意味と、伝来の日本語としての「自然」の意味とが混在し、その結果として、ただ二つの意味が共存している、というだけではなくて、いわば第三の意味ともいうべき、翻訳語特有の効果を生み出しているのである。
【p.128】
『広辞苑』(1976年)によると、
し-ぜん[自然]①(ジネンとも)おのずからそうなっているさま。天然のままで人為の加わらないさま。②(nature)(イ)人工・人為になったものとしての文化に対し、人力によって変更・形成・規整されることなく、おのずからなる生成・展開によって成りいでた状態。...(ニ)精神に対して、外的経験の対象の総体。即ち、物体界とその諸現象。
となっている。この①の意味が伝来の日本語の意味で、②が翻訳語「自然」の意味である。
また『大漢和辞典』(1958年)によると、
【自然】シゼン(一)人為の加わらない義。天然。本来のまま。おのづから。[老子]人法地、地法天、天法道、道法自然。
となっている。老子のこの有名な文句は、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」の「自然」とは、この『大漢和辞典』に述べられている「おのづから」というような意味であり、そしてそれはまた、『広辞苑』で述べられている今日の私たちの「自然」の伝来の意味とも、ほとんど共通なのである。
【pp.132-133】
natureは客体の側に属し、人為のような主体の側と対立するが、伝来の意味の「自然」とは、主体・客体という対立を消し去ったような、言わば主客未分、主客合一の世界である、といえる。
さらに、伝来の「自然」は、副詞、または「自然な」のように形容動詞として使われることが多いが、natureは名詞である、という違いがある。これもまた重要である。
【pp.133-134】
「自然」ということばの翻訳語としての用法には、およそ三つの重要な分野があった。「自然法」という法律上の用法、「自然科学」のような科学上の用法、そして「自然主義」という文学上の用法である。
この中では「自然法」という用語の定着は、もっとも早かったようである。natural lawは、幕末—明治初期の頃は、「性法」あるいは「天律」などと訳されていた。natureは「性」または「天」というわけである。1881(明治十四年)年、『性法講義抄』と題したボアソナードの講義録が出版されている。講義じたいは1874(明治七)年に行われたものだが、後に司法省法学校の井上操がまとめたものである。それによると、「性法」と並んで、時に「自然法」という用語が使われており、少なくともこの本の出た当時、「自然法」という言い方が、次第に「性法」にとって代わり始めていたことをうかがうことができる。
【pp.137-138】
「自然」科学の分野では、natureの翻訳語としては、「天」とか「天然」とか「天地」とか「万物」などを使うのがふつうであった。たとえば、1886(明治十九)年、当時の代表的「自然」科学者、石川千代松の『百工開源』では、その「緒言」に、「Nature and Art」(天造と人工)と書かれているのである。
【p.138】
明治十年代の頃から、「自然科学」上の用語である「自然淘汰」ということばが盛んに使われ、思想界における流行語のひとつともなった。
「自然淘汰」はもちろんnatural selectionの翻訳語で、ダーウィンの進化論のキー・ワードである。流行のきっかけは、加藤弘之が『人権新説』(1882(明治十五)年)で、これを社会や歴史を分析する概念として使用したことにある。
では、この「自然淘汰」の「自然」とは何であったのか。結論を先に言うと、この「自然」には、natureの意味は乏しかった。むしろ日本語の「自然」で、「おのずから」の淘汰、というように理解されていた。いや、もっと正確に言えば、前述の、第三の意味をもつことばとしての翻訳語「自然」であった。意味ははっきりしていなくても、翻訳語特有の「効果」によって、ある重要な意味を担っているはずだとされるようなことば、として使われていたのである。
【p.139】
実はよく意味の分からない、が重要な意味がそこにこめられているに違いない。そういうことばから、天降り的に、演繹的に、深遠な意味が導き出され、論理を導くのである。
【p.142】
日本の「自然主義」については、すでに多くの意見や批判がある。とくに、naturalismは、その代表者ゾラが、「自然」科学者クロード・ベルナールの「実験医学序説」の影響を受けて、「自然」科学の方法にならって小説を描こうとした方法を意味しているのに、日本の「自然主義」は、それを理解しなかった、あるいは誤解した、と言われるのである。
【p.143】
一つの翻訳語をめぐる伝来の母国語の意味と、翻訳語の原語の意味との混在という現象は、人々に気づかれがたいのである。
ただ一つのことば、ただ一つの意味が初めにあって、それを西欧ではnatureと言い、日本では「自然」と言う、のではない。この単純明快な事実を理解することは、しかし非常にむずかしい。とくに日本の知識人にとってむずかしいようである。
「自然」とは、natureということばが日本にくる以前に日本語であった。それが、natureの翻訳語として用いられるようになって、以後、natureと等しい意味のことばになったわけではない。学者や知識人が、ことばの意味をどう定めようと、単なる記号ならいざ知らず、現実に生きていることばは、少数者の定義で左右できるものではない。また、巌本や花袋が、意識的にはnatureと同じと思いながら、伝来の「自然」の意味を動かしがたかったように、ことばの意味は、使用する人の意識を超えた事実なのである。
【p.145】
「自然主義」とはnaturalismと等しいことばではなかった。
【p.145】
花袋は、『花袋文話』(1911(明治44)年)で、こう語っている。
自分の内面も亦一自然である。他の宇宙が自然であると同じように、矢張自己も一自然であるといふことである。そして同じ法則が、同じリズムが同じやうに自他を透して流れてゐるといふことである。
【p.146】
島村抱月は、「今の文壇と自然主義」(1907(明治40)年)でこう言う。
事象に物我の合体を見る、自然はここに至ってその全円を事象の中に展開するのである。その事象は冷かなる現実客観の事象に非ずして、雲の眼開け、生命の機覚めたる刹那の事実である。
無念無想後の我れの情、我れの生命は、事象と相合体して、生きた自然、開眼した自然の図を作って来る。物我融会して自然の全円を現じ来たるとは此の謂ひである。
【p.147】
「自他を透して流れてゐる」とか、「物我融会」というように語られる「自然」は、もちろんnatureではなく、伝来の「自然」の意味からやってくる。しかし、こうして語られている「自然」は、伝来の「自然」とまったく同じなのではない。「自然」は、「我」に対して対象化されている。その反対側に、「自然」に対する「我」がいる。
見出された「我」は、しかし主体としての立場を貫いていくわけではない。見出されると同時に、「自他」一つになり、「融会」しようとする。「自他」の対立する存在の発見と、それにつづく「自他」が一つに帰する運動、それが「自然」なのであり、伝統的な「自然」の意味は、こうしてとりもどされる。
【p.147】
「自然」は、natureの翻訳語とされることによって、直ちにnatureの意味がそこに乗り移ってきたわけではない。「自然」は、翻訳語とされることによって、まずnatureと同じような語法が使われるようになった。論理学の用語で言えば、内包的な意味はもとのままで、外延的に、あたかもnatureということばのように扱われた。対象世界を語ることばのように扱われた。これは意味の上からは矛盾である。そしてこの矛盾が、新しい意味を求め、「自然」ということばの使用者は、矛盾を埋めるような意味を求めていく。こうして、あえて、意識的に「自然」であろうとし、「自他」「融会」する。「自然」の意味はこうして回復され。同時に新しい意味を生み出しているのである。
【pp.-147-148】
参照【「翻訳語成立事情」柳父 章著,岩波新書】
「自然」という言葉は、日本が近代化する以前から使われてきた言葉であり、natureの翻訳語として使われるようになった言葉。
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「自然」ということばも、やはり近代以降、西欧語のnatureの翻訳語として使われるようになった。が、これは翻訳のための新造語ではない。漢籍にもたとえば老子の古い用例があり、日本語としても、仏教用語の「自然jinen」などは、歴史も長いことばである。しかも、近代以降、「自然」が翻訳語として使われるようになっても、同時に、それとは別に、多くの人々に使われつづけていたことばである。つまり、近代以後、今日に至る私たちの「自然」ということばには、新しいnatureの翻訳語としての意味と、古い伝統的な意味とが共存しているのである。
【p.127】
翻訳語「自然」には、natureという原語の意味と、伝来の日本語としての「自然」の意味とが混在し、その結果として、ただ二つの意味が共存している、というだけではなくて、いわば第三の意味ともいうべき、翻訳語特有の効果を生み出しているのである。
【p.128】
『広辞苑』(1976年)によると、
し-ぜん[自然]①(ジネンとも)おのずからそうなっているさま。天然のままで人為の加わらないさま。②(nature)(イ)人工・人為になったものとしての文化に対し、人力によって変更・形成・規整されることなく、おのずからなる生成・展開によって成りいでた状態。...(ニ)精神に対して、外的経験の対象の総体。即ち、物体界とその諸現象。
となっている。この①の意味が伝来の日本語の意味で、②が翻訳語「自然」の意味である。
また『大漢和辞典』(1958年)によると、
【自然】シゼン(一)人為の加わらない義。天然。本来のまま。おのづから。[老子]人法地、地法天、天法道、道法自然。
となっている。老子のこの有名な文句は、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」の「自然」とは、この『大漢和辞典』に述べられている「おのづから」というような意味であり、そしてそれはまた、『広辞苑』で述べられている今日の私たちの「自然」の伝来の意味とも、ほとんど共通なのである。
【pp.132-133】
natureは客体の側に属し、人為のような主体の側と対立するが、伝来の意味の「自然」とは、主体・客体という対立を消し去ったような、言わば主客未分、主客合一の世界である、といえる。
さらに、伝来の「自然」は、副詞、または「自然な」のように形容動詞として使われることが多いが、natureは名詞である、という違いがある。これもまた重要である。
【pp.133-134】
「自然」ということばの翻訳語としての用法には、およそ三つの重要な分野があった。「自然法」という法律上の用法、「自然科学」のような科学上の用法、そして「自然主義」という文学上の用法である。
この中では「自然法」という用語の定着は、もっとも早かったようである。natural lawは、幕末—明治初期の頃は、「性法」あるいは「天律」などと訳されていた。natureは「性」または「天」というわけである。1881(明治十四年)年、『性法講義抄』と題したボアソナードの講義録が出版されている。講義じたいは1874(明治七)年に行われたものだが、後に司法省法学校の井上操がまとめたものである。それによると、「性法」と並んで、時に「自然法」という用語が使われており、少なくともこの本の出た当時、「自然法」という言い方が、次第に「性法」にとって代わり始めていたことをうかがうことができる。
【pp.137-138】
「自然」科学の分野では、natureの翻訳語としては、「天」とか「天然」とか「天地」とか「万物」などを使うのがふつうであった。たとえば、1886(明治十九)年、当時の代表的「自然」科学者、石川千代松の『百工開源』では、その「緒言」に、「Nature and Art」(天造と人工)と書かれているのである。
【p.138】
明治十年代の頃から、「自然科学」上の用語である「自然淘汰」ということばが盛んに使われ、思想界における流行語のひとつともなった。
「自然淘汰」はもちろんnatural selectionの翻訳語で、ダーウィンの進化論のキー・ワードである。流行のきっかけは、加藤弘之が『人権新説』(1882(明治十五)年)で、これを社会や歴史を分析する概念として使用したことにある。
では、この「自然淘汰」の「自然」とは何であったのか。結論を先に言うと、この「自然」には、natureの意味は乏しかった。むしろ日本語の「自然」で、「おのずから」の淘汰、というように理解されていた。いや、もっと正確に言えば、前述の、第三の意味をもつことばとしての翻訳語「自然」であった。意味ははっきりしていなくても、翻訳語特有の「効果」によって、ある重要な意味を担っているはずだとされるようなことば、として使われていたのである。
【p.139】
実はよく意味の分からない、が重要な意味がそこにこめられているに違いない。そういうことばから、天降り的に、演繹的に、深遠な意味が導き出され、論理を導くのである。
【p.142】
日本の「自然主義」については、すでに多くの意見や批判がある。とくに、naturalismは、その代表者ゾラが、「自然」科学者クロード・ベルナールの「実験医学序説」の影響を受けて、「自然」科学の方法にならって小説を描こうとした方法を意味しているのに、日本の「自然主義」は、それを理解しなかった、あるいは誤解した、と言われるのである。
【p.143】
一つの翻訳語をめぐる伝来の母国語の意味と、翻訳語の原語の意味との混在という現象は、人々に気づかれがたいのである。
ただ一つのことば、ただ一つの意味が初めにあって、それを西欧ではnatureと言い、日本では「自然」と言う、のではない。この単純明快な事実を理解することは、しかし非常にむずかしい。とくに日本の知識人にとってむずかしいようである。
「自然」とは、natureということばが日本にくる以前に日本語であった。それが、natureの翻訳語として用いられるようになって、以後、natureと等しい意味のことばになったわけではない。学者や知識人が、ことばの意味をどう定めようと、単なる記号ならいざ知らず、現実に生きていることばは、少数者の定義で左右できるものではない。また、巌本や花袋が、意識的にはnatureと同じと思いながら、伝来の「自然」の意味を動かしがたかったように、ことばの意味は、使用する人の意識を超えた事実なのである。
【p.145】
「自然主義」とはnaturalismと等しいことばではなかった。
【p.145】
花袋は、『花袋文話』(1911(明治44)年)で、こう語っている。
自分の内面も亦一自然である。他の宇宙が自然であると同じように、矢張自己も一自然であるといふことである。そして同じ法則が、同じリズムが同じやうに自他を透して流れてゐるといふことである。
【p.146】
島村抱月は、「今の文壇と自然主義」(1907(明治40)年)でこう言う。
事象に物我の合体を見る、自然はここに至ってその全円を事象の中に展開するのである。その事象は冷かなる現実客観の事象に非ずして、雲の眼開け、生命の機覚めたる刹那の事実である。
無念無想後の我れの情、我れの生命は、事象と相合体して、生きた自然、開眼した自然の図を作って来る。物我融会して自然の全円を現じ来たるとは此の謂ひである。
【p.147】
「自他を透して流れてゐる」とか、「物我融会」というように語られる「自然」は、もちろんnatureではなく、伝来の「自然」の意味からやってくる。しかし、こうして語られている「自然」は、伝来の「自然」とまったく同じなのではない。「自然」は、「我」に対して対象化されている。その反対側に、「自然」に対する「我」がいる。
見出された「我」は、しかし主体としての立場を貫いていくわけではない。見出されると同時に、「自他」一つになり、「融会」しようとする。「自他」の対立する存在の発見と、それにつづく「自他」が一つに帰する運動、それが「自然」なのであり、伝統的な「自然」の意味は、こうしてとりもどされる。
【p.147】
「自然」は、natureの翻訳語とされることによって、直ちにnatureの意味がそこに乗り移ってきたわけではない。「自然」は、翻訳語とされることによって、まずnatureと同じような語法が使われるようになった。論理学の用語で言えば、内包的な意味はもとのままで、外延的に、あたかもnatureということばのように扱われた。対象世界を語ることばのように扱われた。これは意味の上からは矛盾である。そしてこの矛盾が、新しい意味を求め、「自然」ということばの使用者は、矛盾を埋めるような意味を求めていく。こうして、あえて、意識的に「自然」であろうとし、「自他」「融会」する。「自然」の意味はこうして回復され。同時に新しい意味を生み出しているのである。
【pp.-147-148】
参照【「翻訳語成立事情」柳父 章著,岩波新書】
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