Sunday, July 27, 2008

未来 - future

Where are you looking now?
Is it ground, or the neighbor, or yourself?
What is the really important one?
The art special school open the course like the festival under the blue sky.
What you have done from your birth to now?
Go for future!
reference【the AD-copy of The Futere Art Academy, in Free paper "NATURAL HI! 2nd", Tokyo, Japan, 08】

PRISM TOWER, It is a place in which it notifies of the future in the center of a city
beforehand.
reference【the AD-copy in Flyer of the new high-rise condo, Tokyo, Japan, 08】

地獄の時間としての「現代modern」。この地獄の懲罰とは、いつでもこの一帯に存在している最新のことがらであり続けねがならないということだ。「繰り返し同じこと」が生じるということが問題なのではないし、ましてここで永遠回帰が問題なのでもない。むしろ肝心なのは、まさしく最新のものにおいて世界の様相がけっして変貌しないということであり、この最新のものが隅々にいたるまでつねに同一のものであり続けるということだ。— これこそが地獄の永遠を形づくっている。「現代modern」をありありと示す特徴の全体を規定するということは、この地獄を描き出すことにほかならないだろう。[SI, 5]
参照【pp.391-392, 「パサージュ論 第3巻」ヴァルター・ベンヤミン著, 岩波現代文庫】

Wednesday, July 23, 2008

近代的生活 - modern life

 近代になって、世俗化secularizationの過程が進み、デカルト的懐疑が必然的に進行を奪ったため、個体の生命は、もはや不死ではなくなり、少なくとも、不死の確かさを失った。このようなことが起こらなかったとしたら、〈労働する動物〉の勝利はけっして完成しなかったであろう。要するに個体の生命、古代と同じようにふたたび死すべきものとなったのである。しかも世界worldはキリスト教時代のよりも安定性と永続性を欠き、したがって一層信頼できないものとなった。近代人modern peopleは、来世の確かさを失ったとき、自分自身に投げ返されたのであって、世界に投げ返されたのではなかった。彼らは世界が潜在的に不死であるということを信じるどころか、世界が現実的なるものであることにさえ確信がもてなかった。たしかに近代人は、着実に進歩する科学の見るからに悩みのない無批判的なオプティミズムoptimismによって、世界は現実的であると仮定できる。その限りで彼らは、デカルト的超世界性が連れ去った地点よりももっと地球から遠い地点に移動した。「世俗的secular」といういう言葉が一般的に使わされた場合なにを意味しているにせよ、歴史的にそれは世界性worldlinessと同じものではありえない。いずれにせよ、近代人は来世を失ったとき、その代わりに、この世界を手に入れたのではなかった。そして厳密にいえば生命を手に入れたのでもなかった。彼らはただ、生命に投げ返され、内省inner reflectionの閉鎖的closedな内部志向性inner directednessの中に投げ入れらたのである。内省において近代人が経験できた最高のものは、精神が計算するという空虚emptyな過程であり、精神が精神を相手にする戯れであった。そこに残された唯一の内容は、食欲と欲望にすぎなかった。そして近代人は、この肉体の無分別な衝動impulseを情熱passionだと誤解し、それは明らかに「推測するreason」ことができない、つまり計算することができないものであるから、「非理性的irrational」なものと考えたのである。今や、古代における政治体、中世における個体の生命と同じように、潜在的に不死でありうる唯一のものは、生命そのものであり、種としてのヒトの永遠の生命過程であった。
【pp.497-498】

たしかに近代人は、着実に進歩する科学の見るからに悩みのない無批判的なオプティミズムoptimismによって、世界は現実的であると仮定できる。その 限りで彼らは、デカルト的超世界性が連れ去った地点よりももっと地球から遠い地点に移動した。「世俗的secular」といういう言葉が一般的に使わされ た場合なにを意味しているにせよ、歴史的にそれは世界性worldlinessと同じものではありえない。

内省において近代人が経験できた最高のものは、精神が計算するという空虚emptyな過程であり、精神が精神を相手にする戯れであった。そこに残された唯一の内容は、食欲と欲望にすぎなかった。

そして近代人は、この肉体の無分別な衝動impulseを情熱passionだと誤解し、それは明らかに「推測するreason」ことができない、つまり計算することができないものであるから、「非理性的irrational」なものと考えたのである。

 社会化されたsocialized人間というのは、ただ一つの利害an interestだけが支配するような社会状態のことであり、この利害の主体は階級かヒトであって、一人の人間でもなければ多数の人びとでもない。肝心な点は、今や人びとが行っていた活動の最後の痕跡、つまり自己利益に含まれていた動機さえ消滅したというこである。残されたものは「自然力」、つまり生命過程そのものの力であって、すべての人、すべての人間的活動力は、等しくその力に屈服した(「思考過程そのものが自然過程である」マルクス)。
【p.498】

 たとえば、思考thinkingは、「結果を計算に入れる」ものになったとき、頭脳の一機能となった。その結果、電子計算機の方が私たちよりももっとうまくこのような機能を果たすと考えられている。活動actionは、ただちになによりもまず製作productionの観点から理解されるようになり、今でもそうである。ただ製作だけは、世界性worldlinessをもっており、本来的な生命に無関心である。しかし、今やそれもただ労働の別の形式として見られ、複雑ではあるがそれほど神秘的ではない生命過程の機能として見られるようになった。
【p.499】

 労働社会の最終段階である賃仕事人の社会は、そのメンバーに純粋に自動的な機能の働きを要求する。それはあたかも、個体の生命が本当に種の総合的な生命過程の中に浸されたかのようであり、個体が自分から積極的に決定しなければならないのは、ただその個別的ーまだ個体として感じる生きることの苦痛と困難ーをいわば放棄するということだけであり、行動の幻惑され「鎮静された」機能的タイプに黙従することだけであるかのようである。
【p.500】

 もっとも重大で危険な兆候がある。それは、人間がダーウィン以来、自分たちの祖先だと想像しているような動物種に自ら進んで退化しようとし、そして実際にそうなりかかっているということである。要するに、もう一度アルキメデスの点の発見に戻り、その発見を ー カフカはそうしないようにと私たちに警告したのであるが — 人間自身と人間がこの地上で行っている事柄に応用するとどうなるだろう。
【p.500】

 要するに、私たちは常に地球の外部にある宇宙の一点から自然を操作しているのである。もちろん、私たちは、アルキメデスが立ちたいと願った地点に実際に立っているわけではないし、依然として人間の条件によって地球に拘束されている。しかし、私たちは、地球の上に立ち、地球の自然の内部にいながら、地球を地球の外のアルキメデスの点から自由に扱う方法を発見したのである。そしてあえて自然の生命過程を危険に陥れてまで、地球を自然界とは無縁な宇宙の力に曝しているのである。
【p.421】

人間関係の網の目の中へと活動するもので、
活動の暴露的性格をもち、
さらに物語を生みだして、それを歴史とする能力をそなえる。
(【p.503】の文章を書き直した。)
これらの性格や能力こそ、人間存在に意味を与え、それを照らす源泉そのものを形成するのである。この実存的に最も重要な側面においても、活動は特権的な少数者の経験となっている。そして当然のことながら、活動することの意味をまだ知っているこれらの少数者は、芸術家よりも数が少なく、その経験は、世界の本当の経験、世界にたいする本当の愛loveよりもさらにまれである。
【p.503】

 生きた経験としての思考は、これまでずっと、ただ少数者にのみ知られている経験であると考えられてきた。しかし、これはおそらくまちがいだろう。そしてこれらの少数者の数が現代でもそれほど減ってはいないと信じてもさしつかえないだろう。この問題は、世界の将来に関係がなく、関係があるといしても限られたものである。しかし、人間の将来にとっては関連がなくはない。活動的であることの経験だけが、また純粋な活動力の尺度だけが、〈活動的生活〉内部のさまざまな活動力に用いられるものであるとするならば、思考は当然それらの活動力よりもすぐれているだろう。この点でなんらかの経験をしている人なら、カトーの次のような言葉がいかに正しかったか判るであろう。「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない。」
【p.504】 

参照【「人間の条件」ハンナ・アレント著,ちくま学芸文庫】

Sunday, July 20, 2008

自由 - liberty, freedom

日本語の「自由」では「自由」がわからないことについて。



 「自由」ということばは、正しく理解されればいい意味であり、「はき違え」て理解されれば悪い意味になる、というように、私たちは漠然と考えがちであるが、そうではない。と私は考える。問題は、理解の仕方にあるのではない。母国語の中に深い根をおろして歴史を担っていることばは、「はき違え」ようがないのである。
 「はき違え」られている「自由」は、翻訳語「自由」である。
 近代以後の私たちの「自由」ということばにも、英語で言えばfreedomやlibertyのような西洋語の翻訳語としての意味と、伝来の漢字のことば「自由」の意味が混在しているのである。
【p.177】

 幕末の頃、オランダのジャワ総督から幕府に提出された文書の日本語訳に、「大千世界いやましに我ままに成りゆき候形勢これあり」という文句があった。「我まま」とは、オランダ語のvrijhidで、英語で言えばlibertyやfreedomの翻訳語である。この文面を見て、幕府の役人のうちには、これは掠奪をほしいままにするという意味だ、外国人に近づいてはならない、と考える者が多かった、という。
【p.178】

 以上の用例でみると、キリシタン文献に見えるものは別として、自由といふことばには、法令上の用語としてはいふまでもなく、その他のでも、何ほどか非難されるような意義の含まれているものの多いことが、知られるやうである。拘束をうけないといふばあひのでも、その多くは、社会的制約の外に立つといふ点で気ままな、もしくは我がままな、気分があるから、一般人の生活態度としては承認しがたいものである。思うままにするという意義でのでも、他人に関し世間に関することがらについていふばあいには、やはり同様である。よい意義でいはれている例もあるが、それは少ない。フクザハの西洋事情に、リバチイまたはフリイダムにはまだ適当な訳語がないといい、さうして試みに挙げたもののうちの一つには「自由」があるが、それについて、原語は我儘放蕩で国法をも恐れぬという意義の語ではない、とわざわざことわってあることも、思い出されよう。自由は実は適切な訳語でないようである。
(「訳語から起る誤解」津田左右吉著, 1956年)
 ここで、あのvrijhidを「我まま」と翻訳した例に帰って言えば、英語で言うfreedomやlibertyを「自由」と翻訳したことと、それほどの違いはない、ということになるわけである。
【pp.179-180】

 かつてルソーは、「人間は自由なlibreものとして生まれた、しかもいたるところで鎖に繋がれている」と、『社会契約論』(1762年)の冒頭に書いた。この文句は、やがて西欧の至る所で、人々の心を燃え立たせたのである。東洋や日本にも、圧政に反抗する運動はもちろんいろいろとあった。しかし、そのことを、「鎖」から解き放たれるということだけでなく、積極的に求めるべき価値として、人間の内部にある観念としてとらえることばがなかったのである。
【p.182】

libertyやfreedomの訳には、いろいろなことばが試されていたようだ。
自主
自在
不覊
寛弘
など。

 しかし、それにしても、なぜ「自由」が勝ち残ったのであろうか。たとえば、これまで見てきた幕末ー明治初期における翻訳のさまざまな試み、「自主」「自在」「不覊」「寛弘」などと比べて、「自由」のほうがよいと言う理由は乏しいように思う。むしろ、「自主」「自在」「不覊」「寛弘」などは、「自由」のもつ語感を避けて選ばれた、とも見える。少なくとも、悪い意味の語感を持っていないという点では、「自由」よりもふさわしかった、と思われる。その点、漢字・漢籍に通じた当時の知識人たちは、よく心得ていたはずであろう。
【p.186】

 翻訳語は、元来一つの言語体系、文化の意味の体系の中に位置づけられていたことばを、その体系から切り離して取り出されたものがもとになっている。だから、切り離されたことばとしての翻訳語だけを眺めても、そのもとの意味はなかなか分らないのが当然である。
 しかし、およそ物事は、すっかり意味が分った後に受け入れられる、とは限らない。とにかく受け入れ、しかる後に、次第にその意味を理解していく、という受け取り方もある。私たちの翻訳語は、端的に言えば、そのような機能をもったことばなのである。
【p.190】

参照【「翻訳語成立事情」柳父 章著,岩波新書】

Sunday, July 13, 2008

自然 - nature

今日の日本では「都市」と「自然」の関係はどうあるべきだと考えられているのだろうか。
「自然」という言葉は、日本が近代化する以前から使われてきた言葉であり、natureの翻訳語として使われるようになった言葉。

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 「自然」ということばも、やはり近代以降、西欧語のnatureの翻訳語として使われるようになった。が、これは翻訳のための新造語ではない。漢籍にもたとえば老子の古い用例があり、日本語としても、仏教用語の「自然jinen」などは、歴史も長いことばである。しかも、近代以降、「自然」が翻訳語として使われるようになっても、同時に、それとは別に、多くの人々に使われつづけていたことばである。つまり、近代以後、今日に至る私たちの「自然」ということばには、新しいnatureの翻訳語としての意味と、古い伝統的な意味とが共存しているのである。
【p.127】

 翻訳語「自然」には、natureという原語の意味と、伝来の日本語としての「自然」の意味とが混在し、その結果として、ただ二つの意味が共存している、というだけではなくて、いわば第三の意味ともいうべき、翻訳語特有の効果を生み出しているのである。
【p.128】

 『広辞苑』(1976年)によると、
し-ぜん[自然]①(ジネンとも)おのずからそうなっているさま。天然のままで人為の加わらないさま。②(nature)(イ)人工・人為になったものとしての文化に対し、人力によって変更・形成・規整されることなく、おのずからなる生成・展開によって成りいでた状態。...(ニ)精神に対して、外的経験の対象の総体。即ち、物体界とその諸現象。
となっている。この①の意味が伝来の日本語の意味で、②が翻訳語「自然」の意味である。
 また『大漢和辞典』(1958年)によると、
【自然】シゼン(一)人為の加わらない義。天然。本来のまま。おのづから。[老子]人法地、地法天、天法道、道法自然。
となっている。老子のこの有名な文句は、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」の「自然」とは、この『大漢和辞典』に述べられている「おのづから」というような意味であり、そしてそれはまた、『広辞苑』で述べられている今日の私たちの「自然」の伝来の意味とも、ほとんど共通なのである。
【pp.132-133】

 natureは客体の側に属し、人為のような主体の側と対立するが、伝来の意味の「自然」とは、主体・客体という対立を消し去ったような、言わば主客未分、主客合一の世界である、といえる。
 さらに、伝来の「自然」は、副詞、または「自然な」のように形容動詞として使われることが多いが、natureは名詞である、という違いがある。これもまた重要である。
【pp.133-134】

 「自然」ということばの翻訳語としての用法には、およそ三つの重要な分野があった。「自然法」という法律上の用法、「自然科学」のような科学上の用法、そして「自然主義」という文学上の用法である。
 この中では「自然法」という用語の定着は、もっとも早かったようである。natural lawは、幕末—明治初期の頃は、「性法」あるいは「天律」などと訳されていた。natureは「性」または「天」というわけである。1881(明治十四年)年、『性法講義抄』と題したボアソナードの講義録が出版されている。講義じたいは1874(明治七)年に行われたものだが、後に司法省法学校の井上操がまとめたものである。それによると、「性法」と並んで、時に「自然法」という用語が使われており、少なくともこの本の出た当時、「自然法」という言い方が、次第に「性法」にとって代わり始めていたことをうかがうことができる。
【pp.137-138】

 「自然」科学の分野では、natureの翻訳語としては、「天」とか「天然」とか「天地」とか「万物」などを使うのがふつうであった。たとえば、1886(明治十九)年、当時の代表的「自然」科学者、石川千代松の『百工開源』では、その「緒言」に、「Nature and Art」(天造と人工)と書かれているのである。
【p.138】

 明治十年代の頃から、「自然科学」上の用語である「自然淘汰」ということばが盛んに使われ、思想界における流行語のひとつともなった。
 「自然淘汰」はもちろんnatural selectionの翻訳語で、ダーウィンの進化論のキー・ワードである。流行のきっかけは、加藤弘之が『人権新説』(1882(明治十五)年)で、これを社会や歴史を分析する概念として使用したことにある。
 では、この「自然淘汰」の「自然」とは何であったのか。結論を先に言うと、この「自然」には、natureの意味は乏しかった。むしろ日本語の「自然」で、「おのずから」の淘汰、というように理解されていた。いや、もっと正確に言えば、前述の、第三の意味をもつことばとしての翻訳語「自然」であった。意味ははっきりしていなくても、翻訳語特有の「効果」によって、ある重要な意味を担っているはずだとされるようなことば、として使われていたのである。
【p.139】

 実はよく意味の分からない、が重要な意味がそこにこめられているに違いない。そういうことばから、天降り的に、演繹的に、深遠な意味が導き出され、論理を導くのである。
【p.142】

 日本の「自然主義」については、すでに多くの意見や批判がある。とくに、naturalismは、その代表者ゾラが、「自然」科学者クロード・ベルナールの「実験医学序説」の影響を受けて、「自然」科学の方法にならって小説を描こうとした方法を意味しているのに、日本の「自然主義」は、それを理解しなかった、あるいは誤解した、と言われるのである。
【p.143】

 一つの翻訳語をめぐる伝来の母国語の意味と、翻訳語の原語の意味との混在という現象は、人々に気づかれがたいのである。
 ただ一つのことば、ただ一つの意味が初めにあって、それを西欧ではnatureと言い、日本では「自然」と言う、のではない。この単純明快な事実を理解することは、しかし非常にむずかしい。とくに日本の知識人にとってむずかしいようである。
 「自然」とは、natureということばが日本にくる以前に日本語であった。それが、natureの翻訳語として用いられるようになって、以後、natureと等しい意味のことばになったわけではない。学者や知識人が、ことばの意味をどう定めようと、単なる記号ならいざ知らず、現実に生きていることばは、少数者の定義で左右できるものではない。また、巌本や花袋が、意識的にはnatureと同じと思いながら、伝来の「自然」の意味を動かしがたかったように、ことばの意味は、使用する人の意識を超えた事実なのである。
【p.145】

 「自然主義」とはnaturalismと等しいことばではなかった。
【p.145】

 花袋は、『花袋文話』(1911(明治44)年)で、こう語っている。
 自分の内面も亦一自然である。他の宇宙が自然であると同じように、矢張自己も一自然であるといふことである。そして同じ法則が、同じリズムが同じやうに自他を透して流れてゐるといふことである。
【p.146】

 島村抱月は、「今の文壇と自然主義」(1907(明治40)年)でこう言う。
 事象に物我の合体を見る、自然はここに至ってその全円を事象の中に展開するのである。その事象は冷かなる現実客観の事象に非ずして、雲の眼開け、生命の機覚めたる刹那の事実である。
 無念無想後の我れの情、我れの生命は、事象と相合体して、生きた自然、開眼した自然の図を作って来る。物我融会して自然の全円を現じ来たるとは此の謂ひである。
【p.147】

 「自他を透して流れてゐる」とか、「物我融会」というように語られる「自然」は、もちろんnatureではなく、伝来の「自然」の意味からやってくる。しかし、こうして語られている「自然」は、伝来の「自然」とまったく同じなのではない。「自然」は、「我」に対して対象化されている。その反対側に、「自然」に対する「我」がいる。
 見出された「我」は、しかし主体としての立場を貫いていくわけではない。見出されると同時に、「自他」一つになり、「融会」しようとする。「自他」の対立する存在の発見と、それにつづく「自他」が一つに帰する運動、それが「自然」なのであり、伝統的な「自然」の意味は、こうしてとりもどされる。
【p.147】

 「自然」は、natureの翻訳語とされることによって、直ちにnatureの意味がそこに乗り移ってきたわけではない。「自然」は、翻訳語とされることによって、まずnatureと同じような語法が使われるようになった。論理学の用語で言えば、内包的な意味はもとのままで、外延的に、あたかもnatureということばのように扱われた。対象世界を語ることばのように扱われた。これは意味の上からは矛盾である。そしてこの矛盾が、新しい意味を求め、「自然」ということばの使用者は、矛盾を埋めるような意味を求めていく。こうして、あえて、意識的に「自然」であろうとし、「自他」「融会」する。「自然」の意味はこうして回復され。同時に新しい意味を生み出しているのである。
【pp.-147-148】

参照【「翻訳語成立事情」柳父 章著,岩波新書】

Saturday, July 12, 2008

存在 - being (2)

日本語の「存在」はあえて意味を調べる必要あるとは思えない言葉だと感じるが、それはカセット効果が働いている翻訳語でしかない。ただ「存在」として翻訳語を眺めているだけでは、オリジナルの西欧語の文脈は知りえない。

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 神学theologyや哲学philosophy、形而上学metaphysicsが終わりに達したと考えることが実際何を意味しているのかを反省してみるのが懸命だろう。それはたしかに神が死んだということではない。それは神の存在beingについて知り得ないのと同じく我々の知り得ないようなことである。そうではなくて、数千年来、神について考えられてきた考え方がもはや説得的ではないということなのである。もし何かが死んだのなら、それが可能なのは神についての伝統的な考えだけである。同じよなことが哲学philosophyと形而上学metaphysicsの終演ということについても当てはまる。人間のこの世への登場と時を同じくする古来からの問題が「無意味」になったのではなく、その枠組みや答えの仕方が妥当性を失ったのである。

 終わってしまったは、感覚的なものと超感覚的なものとの基本的な区別である。この区別は、少なくともパルメニデス以来、感覚に与えられないものは — 神godであれ、存在beingであれ、第一原理かつ原因(archai)であれ、イデアideaであれ —、現象phenomenonするよりも実在的で、真実であり意味が深いものであり、感覚知覚を声出るだけでなく、感覚世界の上の方にあるのだという考えと一緒になっているのだが、これが終わったのである。「死んで」いるのはこのような「永遠の真理」の限定ということだけではなく、区別そのものなのである。
【p.13】

 デモクリトスによって、超感覚的なものの器官である精神と感覚との間の小対話で、これ以上ないほど単純明快に予言的に行われている。精神が言う。
「感覚知覚は幻影だ。それは身体の条件によって変化するからだ。甘さ、苦さ、色などというものは、人間の取り決めによって(nomō)存在するのであって、現象の背後にある真の自然によって(physei)いるのではないのだ」と。これに対して、感覚は答える。
「哀れな精神よ!お前は、証拠[pisteis,信用できるものすべて]を私たちからとっておきながら我々を打ち倒そうというのか。我々を打倒すればお前が滅亡することになるぞ」。
言いかえれば、一旦、これまでいつも周到に保たれてきた二つの世界のバランスが失われてしまうと、「真の世界」が「仮象の世界」を絶滅しようと、その反対であろうと、我々がの思考がつねづね依拠してきた枠組み全体が崩壊していく。そのように見ると、何ももう大した意味がないかのように見えるだろう。
【p.14】

参照【「精神の生活」ハンナ・アレント著,岩波書店】

存在 - being

「存在」や「〜である」という日本語は現在ではあたりまえだが、これもまた日本の翻訳語。

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Je pense, donc je suis. つまり英語で言えば、
I think therefore I am. は、日本語では、
私は考える、だから私はある。というように翻訳され、「ある」という表現になっている。
【p.120】

簡単に図式化すれば、
suis→存在する→ある
という、いわば二段階の翻訳の過程をたどっているのである。この矢印の方向は、一方通行であって、逆の方向の思考の働きはない。
【p.121】

「ある」という一見やさしい、日常語風のことば使いは、実は日常語の文脈のルールに従って使われているのではなく、西欧語から翻訳用日本語へ、さらにその翻訳用日本語からの翻訳、という経路で天降ってきたのである。哲学の専門家にとっては、表面上「ある」とは言われていても、その頭の中では、suisなどの横文字と、その翻訳語「存在する」が働いており、そのことばで考えている。「ある」で考えているのではない。だからこそ、「私はある」ということば使いのおかしさが、これまで全く見過ごされてきたのである。
【p.122】

 デカルトの『方法序説』で、前掲文の少し後のところでは、このje suisということを、mon étre(私のétre)と言い換え、そのことからまた、Étre parfait(完全なétre、つまり神)を考える。ここでは、suisの名詞形étreの方が、思考の中心になる。そしてまた、このétreは、名詞であるとともに、suisなどの変化形の原形として、動詞でもある。だから、名詞中心に考えながらも、それを時に動詞表現に言い換え、名詞表現と動詞表現との間を、容易に思考が往復できる。
【p.122】

 この翻訳用日本語は、確かに便利であった。が、それを十分に認めた上で、この利点の反面を見逃してはならない。と私は考えるのである。つまり、翻訳に適した漢字中心の表現は、他方、学問・思想などの分野で、翻訳に適さないやまとことば伝来の日本語表現を置き去りにし、切り捨ててきた、ということである。そのために、たとえば日本の哲学は、私たちの日常に生きている意味を置き去りにし、切り捨ててきた。日常ふつうに生きている意味から、哲学などの学問を組み立ててこなかった、ということである。それは、まさしく、今から350年ほど前、ラテン語ではなくてフランス語で『方法序説』を描いたデカルトの試みの基本的態度と相反するのであり、さらに言えば、ソクラテス以来の西欧哲学の基本的態度と相反するのである。
【p.124】

参照【「翻訳語成立事情」柳父 章著】

Friday, July 11, 2008

永劫回帰 - eternal recurrence

永劫回帰はドイツ語のdie ewige Wiederkunftの翻訳語。eternal recurrenceはその英訳。

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「永劫回帰の思想は史的事件をすら大量生産品にする。しかしまたこの概念は別の観点から見ると—その裏面にと言ってよいであろうが—経済的状況の痕跡をとどめている。この概念はその唐突な現実性を経済的状況に負うのである。この現実性は、生活環境の確実性が危機の急速な継起によってはなはだしく低減した瞬間にあらわれた。永劫回帰の思想は、永遠が裁量するよりも短い期間に同じ環境が回帰することはもやはけっして期待できないことから、その栄光を獲得したのである。日常的な諸状況の回帰はきわめて緩慢にではあったがいささか稀になっていた。そのために、宇宙的な星座の回帰で満足しなければならないという漠然とした予感が蠢動していたのであろう。要するに、習慣はその機能のいくつかを放棄しはじめていた。「わたしは短い習慣をこのむ」とニーチェは言っている、そして、ボードレールがすでにその生涯にわたって確固とした習慣を発展させることができなかったのである。」(「セントラル・パーク」)
「永劫回帰は幸福の二律背反的な二原理、すなわち、永遠の原理と〈いまいちど〉の原理とをむすびあわせようとする試みである。—永劫回帰の観念は時代の悲惨のなかから幸福の思弁的観念(もしくは幻覚形象)を喚起する。ニーチェのヒロイズムは、俗物の悲惨のなかから近代の幻覚形象を喚起するボードレールのヒロイズムの対蹠物である。」
【pp.179-180】

 ベンヤミンがここで強く批判の対象としてたたかっているのは、”永劫回帰”の概念と一枚の楯の裏表の関係にある”進歩”ないし”連続性”の概念である。彼は、いわゆる文化史の不毛性を次のように批判する。
「要するに、見せかけだけは洞察の推進力を記述しても、弁証法の推進力は見せかけですらも記述しない。なぜなら文化史には、破壊的要素が欠けており、この破壊的要素が弁証法的思考と弁証法論者の経験を確かな根拠のあるものとして保証するのである。たしかに文化史は人類の背中に堆積する財宝の重荷を増加させる。しかし文化史はその財宝を手に入れるために、それを振り落す力を人類に与えない。同様なことが、文化史を導きの星にした、世紀の変わり目の社会主義的教育活動について言える。」
【p.181】

「破局の概念の下に実現するような歴史過程は、じつは思考する人間を、子供が手にもって遊ぶ万華鏡以上にあてにするわけにはいかない。万華鏡を廻せば、秩序づけられていた像は崩れてふたたび新しい秩序をかたちづくる。その像にもそれなりの理由がある。支配層の手中にある諸概念はつねにひとつの〈秩序〉の像を映し出してみせた鏡であった。万華鏡は打ち砕かねばならない。」(「セントラル・パーク」)
【p.182】

つまり、万華鏡は打ち砕かねばならぬということは、同時に、かつてそういう万華鏡を手にして遊んだ子供であった自分をもまた打ち砕かねばならぬという強烈な自己否定の意志と情熱に裏打ちされてでてくる言葉にほかならないのだ。ベンヤミンの文章には、つねに謎めいた、熱気あふれる暗い情熱が感じられるが、ほかならぬその暗いパトスが、いまなお歴史の大きな変動期に身をおいて、わが身を二つに引き裂かれるような内的・外的体験をくり返さなければならない私の心に衝動を与えるのである。
【p.183】

「複製技術に関わりを持つことが、他の研究方向ではほとんどできないような、受容の決定的な意味を解明する。そのやり方によれば芸術作品に生じる物化materializationの過程をある程度の限度内で補正することが可能になる。大衆芸術の考察は天才概念の修正に導く。この考察は、芸術作品の生成にあずかる霊感inspiretionに注意を奪われて、その霊感をして実りあらしめることを可能にする唯一のものである事実を見逃さぬようにとうながす。図像学的解釈iconologyは結合受容と大衆芸術の研究にとって不可欠なものとして現れるだけではない。それはなににもまして、あらゆる形式主義がただぢにそこへ誤り導くことになる侵害を妨げる。」
【p.184】

 複製技術の発展にともなって、芸術では展示価値が高まり、作品は大衆の眼のすぐ間近まで近づけられた。こうして、作品をじっと見つめ、同時に作品から見つめ返されるという、熱っぽい視線の交換から生じてくるアウラは消滅した。しかし、はたしてベンヤミンはアウラの消滅を双手をあげて歓迎し、謳歌しているのであろうか。それとも、アウラの消滅の必然性をはっきり認識しながらも、同時に消え行くアウラに憂愁にみちた別離の眼差しを送っているのだろうか。
 複製芸術にたいするこうしたアンビヴァレンツは、ひとつには、複製芸術作品をすべて商品として大衆に提供する現代社会の機構が、芸術作品の物化を極度に押し進めているっことから生じてくるのであり、二つには、かつてのアウラ的芸術鑑賞においては、作品は観者から隔離されていることによって、蔑視され、凝視によって逆に作品は観者の魂に近づけられたのに反し、複製技術は作品と観者との距離を抹殺することによって、観者を「散漫な試験管」にし、逆に作品を観者の魂から遠ざける作用をする、という逆説が、今日依然として未解説の問題として残されていることから生じてくるのである。
 ”複製技術の領域において迫り来る巨大な諸発明に関するひとつの夢としての永劫回帰の教義”という謎めいた一句が、「セントラル・パーク」のなかに見出される。永劫回帰の夢をベンヤミンがどういうものとして見ていたかは、すでに先に引用したアフォリズムによって明らかだろう。芸術へのテクノロジーの新しい適用に有頂天になっている現代のモダニストたちは、「時代の悲惨のなかから幸福の思弁的観念(もしくは幻覚形象)を喚起する」ことにやっきになっている永劫回帰論者、言い換えれば、革新者の体裁をした現状維持論者にほかならないのではなかろうか。そういうモダニストたちにたいして、共産主義は、芸術の政治化をもってこたえるであろう、という言葉は、(「政治」とならべて「技術」という言葉を補い、「ファシズム」とならべて「モダニズム」という言葉を補うならば)今日なお決然たる挑戦宣言であることをやめていない。
【pp.185-187】

参照【「複製技術時代の芸術」ヴァルター・ベンヤミン著,佐々木基一編集解説より「解説」】

Wednesday, July 09, 2008

美 - beauty

日本語の「美」と西欧語の「beauty」のギャップをあらためて考えるきっかけになった。

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 「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」(『当麻』1942年)とは、小林秀雄の有名な命題であるが、確かに、かつて私たちの国では、花の美しさというように、抽象概念によって美しいものをとらえようとする言い方も乏しく、したがってそのような考え方もほとんどなかった。花の美しさ、というようなことばや考え方を私たちに教えてくれたのは、やはり西欧舶来のことばであり、その翻訳語だったのである。
【p.67】

 たとえば、日本の伝統的美意識とか、世阿弥の美学、というような言い方がよく聞かれるが、このような問題のたて方は、自ずと翻訳的思考法をすべり込ませている、ということに注意したいと思う。なぜか。きわめて簡単明瞭なことなのであるが、近代以前、日本では、「美」ということばで、今日私たちが考えるような「美」の意味を語ったことばなかったからである。beautyやbeautéやschöheitなどは、西欧の詩人や画家などが、作品を具体的に制作する過程で、立ち止まって考えるときに口にすることばなのである。世阿弥や芭蕉は、当然こういう西欧語を知らず、従ってその意味を知らなかった。つまりその翻訳語である「美」を知らなかったのである。
【p.69】

 世阿弥の「花」や「幽玄」、利休の「わび」、芭蕉の「風雅」や「さび」、

 本居宣長の「もののあはれ」なども、一応同じような例として考えられるのである。これがおことばには、西欧美学の「美」と共通するところもかなりある。
【p.69】

 いずれも、舶来の「美」よりもはるかに具体的で、これでは観念を語っていると言うのさえむずかしいくらいである。
 もちろん、いかに具体的な体験を重視しているとは言っても、「わび」とか「風雅」とか「あはれ」というように、名詞の形で、ある究極の境地をとらえた、ということはやはり重要であろう。その限り、「美」と共通するところはある、と言わなければならない。これらのことばによって、いわば芸術の理想にも対応するような価値観が語られ、その道の人々の精神を支えたのである。
 しかし、私がすでにのべたような、違っている、という面もはやり重要である。そしてこの違いは、日本的「美」意識の特殊性とか、西欧の「美」と日本の「美」との違い、というように、「美」を前提としてとらえてはならない、と私は考える。少なくとも基本的な態度として、一つの普遍的な観念としての「美」を先に立て、その特殊な場合として日本的「美」がある。という思考方法は間違いである、と私は考えるのである。
【p.72】

 およそことばの意味は、「哲学者及審美学者」がきめるのではない。ことばが先にあって、その日常的意味をもとにして、「哲学者及審美学者」は、これをつごうによって中傷し、限定して使うのである。しかし、この限定された意味を、翻訳語として受けとめ、従って、完成された意味として受け取ることの多い日本では、この順序はとかく逆転して理解されがちである。
【p.78】
 
 レヴィ・ストロースはアマゾンの部族(ナムビクワラ族)をフィールワークしたとき、その酋長は自分だけが白人と文字によって通じていることを、部族の他の人々の知らしめることをしたという経験をし、それに基づいて考えた。

 レヴィ・ストロースは、およそ文字というものについて考え、それは権力的支配の道具である、と言う。鋭い文明批評である。たしかに、私たちの国でも、たとえば出土するかつての支配者の剣などに、きっと文字が刻まれているのを見出す。文字を刻んだ人たちじしん、必ずしもその意味を知ってはいなかったことは、鏡文字といって、左右が逆の書き方が時おり見つかることでも分る。その文字は、意味によるよりも、まずその「くねくねとした」不可解な形によって人々を惹きつけ、貴重であるとされ、独占されたのである。
 こういう歴史的体験を、いわば生物学で言う系統発生とすれば、外国から文字を受容したという私たち民族の経験は、あたかもその個体発生のように、今日でも、日本人の一人一人の翻訳語体験のうちに生きている、と私は考える。
 「美」ということばは、今日の教養ある人々にとっても、どこか分りにくい。だが重要なのは、それが日本語として語られる以前に存在していることば、翻訳語である、ということである。「美」について、考えれば分ると思っている人も、翻訳語固有のこういう効果を免れることはむずかしい。
 三島由紀夫の「美」のトリックは、こういう背景のもとに成り立っている。小説の中で「美」は、不意打ちにのように、説明抜きに現れてくる。しかもだいじなところに現れて、重要な働きをしている。他方、三島は、小説の読者はこちらも読むであろうという予測のもとに、「美」からその意味を抜きとるような発言を、評論文などでしておく。こうして翻訳語固有の「カセット効果★」は利用され、かつ人為的につくりだされている。三島は、あたかもナムビクワラ族のあの酋長のようにふるまい、お芝居を演じ、読者に対して、優越していると見せかけた立場から、このことばの効果を操作しているのである。
【pp.85-86】

参照【「翻訳語成立事情」柳父 章著,岩波新書】

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 ここで重要なことは、こういう「四角張った文字」の意味が、原語のindividualに等しくなるのではない、ということである。これらのことばはいくら眺めても、考えても、individualの意味は出てこない。だが、こういう新しい文字の、いわば向こう側に、individualの意味があるのだ、という約束がおかれることになる。が、それは翻訳者が勝手においた約束であるから、多数の読者には、やはり分らない。分らないのだが、長い間の私たちの伝統で、むずかしそうな漢字には、よく分らないが、何か重要な意味があるのだ、と読者の側でもまた受け取ってくれるのである。
 日本語における漢字の持つこういう効果を、私は「カセット効果」と名づけている。カセットcassetteとは小さな宝石箱のことで、中味が何かは分らなくても、人を魅惑し、惹きつけるものである。「社会」も「個人」も、かつてこの「カセット効果」をもつことばであったし、程度の差こそあれ、今日の私たちにとってもそうだ、と私は考えている。

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日本では、早い段階から大衆化社会がつくられてきており、翻訳語のトリックはマスメディアによって一般化されてきているのだろうか。

Sunday, July 06, 2008

物化 - materialization

materializationは〈具体化〉と訳されるが、〈物化〉と訳される場合がある。
例文、materialization of thought into words、考えを言葉で具体的に表現すること。

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活動と言論と思考は、それ自体ではなにも「生産」せず、生まず、生命そのものと同じように空虚である。それらが、世界の物となり、偉業、事実、出来事、思想あるいは観念の様式になるためには、まず見られ、聞かれ、記憶され、次いで変形され、いわば物化されて、詩の言葉、書かれたページや印刷された本、絵画や彫刻、あらゆる種類の記憶、文書、記念碑など、要するに物にならなければならない。人間事象の事実的世界全体は、まず第一に、それを見、聞き、記憶する他人が存在し、第二に、触知できないものを触知できる物に変形することによって、はじめてリアリティを得、持続する存在となる。記憶されなかったとしたらどうだろう。また、記憶がその自己実現のために必要とする物化materializationが行われず、実際ギリシア人が考えたように、記憶をすべての芸術の母とする物化materializationが行われないとしたらどうだろう。そのとき活動と言論と思考の生きた活動力は、それぞれの過程が終わると同時にリアリティを失い、まるで存在しなかったかのように消滅するだろう。活動と言論と思考がとにかく世界に残るために経なければならぬ物化materializationは、ある意味で、支払わなければならぬ代償である。なぜならその場合、「生きた精神」から生れ、実際束の間は「生きた精神」として存在した何物かの代わりに、いつも「死んだ文字」がそれに取って代わるからである。活動と言論と思考の活動力がこのおうな代償を支払わなければならないのは、これらがまったく非世界的性格をもっているために、これらとまったく異なる性格をもつ活動力の助けを必要とするからである。つまり活動と言論と思考がリアリティを得、物化materializationされるためには、他の人工物を作るのとまったく同じ仕事人の技を必要としているのである。
【pp.149-150】

参照【「人間の条件」ハンナ・アーレント著】

Saturday, July 05, 2008

美的共通感覚 - aethetic common sense

芸術や都市の景観を他人同士がたがいに共感しあうことについて。
しかし、もともとの日本語には、aethetic, common sense, imagination, understanding, reasoning, judgementなどに対応することばがなかったので、新しい翻訳語があてられている。

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「これは美しい」と言うとき、われわれは単に「これは好ましい」と言っているのではない。われわれはある種の客観性objectivity、ある種の必然性inevitability、ある種の普遍性universalityを当然のものとして要求しているのである。だが、美的対象の純粋な表象representionは個別的である。つまり、美的判断aethetic judgementの客観性objectivityは概念conceptを欠いている。あるいは(同じことだが)、その必然性と普遍性は主観的である。一定の概念(幾何学図形、生物学上の種、合理的な観念)が介入するたびごとに、美は自由であることを止め、同時に美的判断も純粋であることを止める。感情能力は、その高次の形態においては、思弁的関心にも、実践的関心にも依存することはできない。それゆえに、美的判断において普遍的で必然的なものとして提示されるものは、ただの快pleasureに過ぎないのである。われわれは、自分たちが感じる快が、権利上、伝達可能で、万人に妥当なものであると仮定し、だれもがそれを感じるはずだと推測するreason about。
【p.100】

構想力imaginationは、ここでは、「概念conceptなしで図式化しているrepresent graphically」、と。しかし、図式化作用とは、常に、もやは自由でない構想力、悟性概念に即して働くように規定された構想力の行為である。ということは、実のところ、構想力はここでは図式化とは別のことを行っているのである。構想力は対象の形式を反省することで自らの最も深い自由を表し、「形象の観察において、いわば、戯れている」のであり、「可能的直観の恣意的arbitraryな諸形態の原因としての」産出的で自発的な構想力になるのである。これがつまり、自由なものとしての構想力imaginationと、無規定なものとしての悟性understandingとの一致conformである。これが、諸能力間の、それ自身で自由で無規定な一致である。この一致について、それは本来的な意味で美的な共通感覚common sense(趣味taste)を明示するものであると言わねばならない。実際、われわれが、伝達可能で、万人に妥当なものであると規定している快pleasureは、この一致の結果以外の何ものでもない。構想力と悟性の自由な戯れは、一定の概念のもとで起こることではないので、知的に認識されることはなく、ただ感じられるだけである。したがって、「感情の伝達可能性」(概念の媒介を経ないそれ)というわれわれの仮定は、諸能力の主観的一致という理念に基づいているのだが、但しそれも、この一致そのものがひとつの共通感覚を形づくっている限りにおいてのことである。

美的共通感覚aethetic common senseは、先行する二つの共通感覚を補うものだと考える人もいるかもしれない。論理的logicalな共通感覚と、道徳的moralな共通感覚の場合では、あるときは悟性が、あるときは理性が、立法行為legislationを行い、他の能力の機能を規定している。ここではその役を引き受けるのが構想力imaginationなのだ、と。だが、事態はそのようではありえない。感情能力は対象にたいして立法行為を行うのではない。したがって、感情emotional能力の中には、立法的な能力(この語の第二の意味におけるそれ)は存在しない。美的共通感覚が、諸能力の客観的一致を表彰することはない。(言い換えれば、支配的能力への対象の従属、かかる対象に関して他の能力が果たすべき役割を同時に規定するような能力への対象の従属を表象することはない)。それは、構想力imaginationと悟性understandingがそれぞれ自分のために自発的に働く際の純粋な主観的subjective調和を表象する。したがって、美的共通感覚は他の二つの共通感覚を補うのではない。むしろそれらを基礎付ける、あるいは、可能にするのである。仮にすべての能力の間で最初からこの自由な主観的調和が可能でなかったなら、どれかひとつの能力が立法的で規定的な能力を担うこともなかっただろう。
【pp.101-103】

参照【「カントの批判哲学」ジル・ドゥルーズ著,國分功一郎訳】

Tuesday, July 01, 2008

近代 - Modern

近代-modernという翻訳語について「翻訳語成立事情」から見てみる。

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 一つのことばが,要するにいいか、悪いか、と色づけされ、価値づけされて人々に受けとめられること、これは日本における翻訳語の重要な特徴の一つである、と私は考える。
【p.46】

 人がことばをを、憎んだり、あこがれたりしているとき、人はそのことばを機能として使いこなしていない。逆に、そのことばによって、人は支配され、人がことばに使われている。価値づけして見ている分だけ、人はことばに引きまわされている。
 このような事情は、「近代」に限らない。本書でとりあげることは、「社会」「自由」などの場合にもはっきりと分かるように、これは私たちの国における翻訳語の基本的な特徴なのである。
【pp.46-47】

 『広辞苑』(新村出、1976年、岩波書店)によると、
 ①近ごろ。現代。②(modern age)歴史の時代区分の一。講義には近世と同義で、一般には封建制社会のあとをうける資本主義社会についていう。日本史では明治維新から太平洋線戦争の終結までとするのが通説。

『オックスフォード英語辞典』によると、modernは、まず、六世紀のラテン語modernusからきていることばで、「ただ今」というような意味である。という。次いで、英語の形容詞modernは、
 ⑴今ある。
 ⑵遠い過去と区別して、現在およびそれに近い頃の、またはそれに属している。今の時代の、またはそれに属している、または生まれた。
 歴史上の用法としては、通例(古代、中世と対比して)中世に続く時代、およびその時代の事件、人物、作家などを指す。
【pp.50-51】

 modernの歴史区分としての意味は、OEDにあるように、第一に、ルネッサンス以後の時代を、中世と区別する時代区分である。『広辞苑』の②に記されている時代区分はもっと新しい。OEDには書かれていないが、modernの用法として、もうひとつ、17・18世紀のブルジョワ革命以後の時代を、それに先行する時代と区別して言う時代区分の意味もある。それにしても、これは西洋史の時代区分であり、『広辞苑』②の方は日本史の時代区分で、この両者の対応は、そう簡単なことではない。
 さらに、おそらくもっと重要なことは、modernの場合と違って、「近代」が時代区分としての意味を担うようになったのは、実はこのことばの意味する「近代」の始まりよりももっと新しい。後に述べるように、1950年代以降のことなのである。『広辞苑』に述べられている「日本史では明治維新から太平洋線戦争の終結までとするのが通説」というこの「通説」が確立したと言えるのは、「太平洋戦争の集結」から十年ほどもたった後のことなのである。
【p.52】

 1910(明治四三)年の雑誌『文章世界』七月号に、「近代人とは何ぞや」という特集記事が載っている。その初めに、「記者」の署名で、こう述べられている。
 
 近代人といふことのを此の頃よく聞く。此の近代人はいはば近代文芸の核心のようなものであるから、これが真に分かってゐなければ従って現代の文芸も分明に了解は出来ぬであらう。今、諸家に就いて聞き得た高説が、読者諸君を何等かの意味に於いて益する所があれば幸ひだと思ふ。

 まず、この文章における「近代」と「現代」の使い分けに注目しよう。「近代」は「近代人」「近代文芸」という熟語で使用され、他方「現代の文芸」という言い方がある。「現代の文芸」とは、明らかに時代区分としての「現代」における「文芸」の意味であるが、「近代文芸」は「近代」という時代区分における「文芸」の意味ではない。それだけではない。時代区分としての意味以外の、ある特別な意味のこもった「近代」が、この記者も言うように、この当時しきりに口にされ、流行していたのである。
【p.60】

この「近代」流行の時代を経て、やがて歴史学者は否応なくこのことばを取り上げ、時代区分の用語としてのオモテの意味を与えるようになる。このオモテの意味は、いわばそのウラの意味があらかじめあったからこそ、与えられるようになったわけである。つまり、初めに、意味の乏しい「近代」ということばの形があって、それがやがてしかるべき意味を獲得していった、というわけであり、それは、私たちにおける翻訳語の意味形成過程を、典型的に物語っているのである。
【p.64】

【参照:「翻訳語成立事情」柳父 章 著、岩波新書】